TPPと石高制

私は地域でゴミ減量や地域防災等の様々な取り組みをしているが、その取組と仕事が合体した。私のNPOでは田んぼの生きもの調査活動を通じて日本の田んぼの保全を図ってきた。つまりTPPが実施されても日本の稲作農家が田んぼを耕作し続けられる仕組みを模索してきたのだ。EUの環境直接支払いの実現を目指して「民間型環境直接支払い」を実践し、生産者と消費者の関係性から脱却することを目的に「田んぼ市民運動」を実践してきた。しかし残念ながら日本人の価値観や意識は変わらず、国の政策としてもEUの直接支払い真似事や大規模化、1兆円の農産物輸出などの目標を設定しているが、農地を守るという国民的合意には至っていない。
国民的合意に至らない理由としては、チェルノブイリ原発事故や近代農業による国土汚染が創造神と約束した自然管理責任に違反しているという意識をEU市民が持っているからだ。EU市民は持続可能な農業が国土環境を保全しているという認識を持つようになったので、環境支払いが本格的に機能しているのだ。
日本人はキリスト教徒が大勢を占めるEU市民とは異なり、自然を創造した神という考え方が全く理解できない。日本人には明治維新までnatureという概念がなく、自然という漢字を当てはめて今日に至っている。現代の日本人は日常的に自然という言葉を使っているが、その背後にある創造神との契約を意識していない。その結果、40万haの耕作放棄地があっても日本人としての自然管理責任を意識する人間はいない。国土開発に伴う自然破壊に対して反対運動をする人はいるが、農業が日本の国土のメンテナンスをしていると思っている人は殆どいない。
私はこれまでコウノトリやトキの放鳥に伴い、田んぼの生物多様性を高めるために自然保護運動と農家運動の結びつける努力をしてきた。しかし残念ながら自然保護は反対運動に終始し、農家は差別化商品の意識から脱却できないでいる。日本で有機農業運動が広がらない原因は消費者が「食の安全」という意識から脱却できず、有機農家は商品の差別化という意識から脱却できないからだ。
このように忸怩たる思いを抱き続けてきたが、案外近くにその解決策があった。それはEUのように国民の意識改革を目指すのではなく、日常の暮らしの中の取り組みを通じて結果的に農地を保全し、国土の崩壊が免れれば良いのだ。
私の地域では災害を想定して炊き出し食事会を隔月で実施している。その中では家庭での防災保存食として「玄米」の在庫を勧めている。一方、生ごみを回収して発酵させ農地に入れて野菜を作る取り組みをしている。更にゴミ処理工場の広域化に伴いプラスチックの分別回収が始まろうとしている中で、流通系の包材についてはメーカー責任を問うだけであった。このような2つの大きな課題を解決する取り組みが始まった。
それは玄米を地域住民に推奨するだけでなく、生きもの調査をしている産地から玄米を送ってもらい、それを地域住民に協働購入してもらう取り組みを始めた。玄米については家庭によって評価が異なるので、小さな容量の精米機を購入し、精米歩留まりを自分で選択させた。最近では精米と玄米の2つを購入して家庭でブレンドして炊飯している。もちろんこれらの取り組みは炊き出し食事会のなかで実験して玄米普及に努めている。
更にこの取組の特徴は玄米に「産地」「銘柄」「年産」を表示しないことだ。この3つの表示は玄米流通の基本であり、消費者はこの表示と価格で精米を選択している。現在は4つの産地から2つの銘柄を送ってもらっているが、購入する市民からは産地指定銘柄指定の希望は無い。これは私が意図的に企画したことではあるが、全く私の予想に反していた。理由としては産地からはそれなりの美味しい玄米を送ってもらっていることと、精米したてのご飯の香りの良さが原因と考えられる。もちろん産地からは生きもの調査の取り組みが分かる情報提供をしてもらっており、近々のうちにフェイスブックに調査活動の様子をアップしてもらうことを考えている。
3点セットの表示とは別に売り方も全く新規の発想を導入している。それは「枡」による量り売りをしていることだ。玄米は30kgの袋にはいっているが、それを小分けするのに普通であれば3kgや5kgの袋に入れる。しかし私たちは「1升枡」と「5合枡」を買ってきて枡売りをしている。市民が希望する数量を枡で量り、それを精米するのだ。昔の家庭では米びつの中に1升枡がはいっていたものだが、最近の若い人は見たことも無い人が多い。
1合☓10=1升 1升☓10=1斗 1斗☓10=1石
1升は1升ビンがあり、1斗は灯油の1斗缶があるので何となく理解できるが、1石となると読み方から教えなければならない。1升や1合が容積であることは知っているが1石という単位が何を意味するのか殆どの人が知らない。昔は土地の生産性・価値を「石高制」で表し、「加賀百万国」とは、加賀藩の領地全体で100万石のお米換算の農産物が獲れるということを意味していた。それは加賀藩では100万人の人が生きていけるということも意味していた。それは当時の日本人が1年間に食べるお米の量が1石(約150kg)だったからだ。加賀藩以外にも徳川幕府が400万石といわれ、日本全体では2000万石であった。この数字は江戸時代の日本の人口が2000万人であったことと符号する。
このような石高制は豊臣秀吉太閤検地によって定められたことはあまり知られていない。教科書には太閤検地によって年貢を納めさせたと書いてあるが、太閤検地とは単に農地の面積を測ったのではなく、農地面積の単位も変更したのだ。それは1石の米を生産するのに必要な水田面積を1反300坪(約1000㎡)と定めたのだ。太閤検地前は1反が360坪だったが、当時のお米の生産性を勘案して300坪に変更したのだ。つまり1人の日本人が生きていくためには1石のお米が必要であり、その1石のお米を生産するのに必要な水田面積が1反と定めたのだ。
このように1升枡の玄米が10個で1斗となり、100個で1石となる。その1石は自分が生きていくために必要な食料であり、その向こう側には1反の田んぼが広がっている。「自分は1反の田んぼによって生かされている」「自分の命は1反の田んぼと直結している」ということが理解できればTPPでいくら安くて美味しいお米が輸入されても、日本人としての行動原理は自ずから明白になる。EU市民は創造神から教えられたが、日本人は暮らしの原点にある「1升枡」から気付くはずだ。
ゴミ減量の取り組みとして米袋は各自持参が原則で忘れたら有料になる。精米によって出た糠はビスケットにしたり畑の肥料にする。玄米仕入れ価格についてはお米が持続的に生産できるように設定し、玄米販売価格については誰からも高いという話は無い。私としてはこれが日本の究極的なTPP対策であり、やっと農地保全の意味が暮らしのなかで位置づけられ、商品経済の発想から脱却できると確信している。この取組は従来の産直ではなく離れている地域住民の協働活動を結びつける暮らしの取り組みなので「地域協働活動」と名付け、私の地域では「地域協働マルシェ」を毎月開催している。もちろん玄米だけでなく、ゴミ減量や防災に協力してくれる地域活動の取り組み品を増やしており、更にこのような活動に取り組む市民団体や自治会や店舗を増やしたいと思っている。