2012-01-01から1年間の記事一覧

12月16日の選挙

今回の選挙で多くのひとがぼやいていること。 どこの政党に投票しても変わらない。投票したいと思う立候補者がいない。 私も同様に思っている人間だが、どうしてぼやくのか考えてみた。どうやら国と国民の関係がはっきりしないからではないかという結論にな…

JA大会とNHK

先日開催されたJA大会の模様がNHKのニュースで放送された。平成12年以来12年ぶりのことである。ところが農業新聞ではNHKで放送されたことを解説する記事は私の知る限り掲載されていない。更にJA関係者のあいだでは何故、NHKがニュースで取り上げたのか理解し…

ブータンと経済成長

先日、群馬で開催されたブータン・デーに行ってきた。ブータン大学の学長と講師と学生が発表した。学生の発表の内容が興味深かった。それはブータンにおける耕作放棄地問題と都市への人口移動問題であった。一般的にはブータンでは国民総幸福量GNHの話しが先…

鈴木大拙とカフカ

何週間か前に朝のテレビで鈴木大拙の番組を放送していた。日曜の朝なのでテレビといっても話しを聞いているだけなのだが、こんな話しだった。 人間が年をとることは非常に良いことだ。何故ならば、人間は年をとることによって様々なことが分かってくるからだ…

道の駅と稼ぎ

私はこれまで「農業」という漢字を「農」と「業」に分けて、現在の日本の農業のあり方を論じてきた。現在の農業の議論では「業」という「お金」の価値観だけで語られており、「農」という「命」の価値観で語られることが少ない。その結果、TPPに参加すると日…

シェーナウの想いと自治会

先日、シェーナウの想いという映画を見た。ドイツ南西部のシュバルトバルト(黒い森)にあるシェーナウという2500人の小さな町の話。1986年に起きたチェルノブイリ原発事故から子供たちの命を守る運動から始まり、誰もが実現不可能と思っていた再生可能エネル…

遺伝子組み換えと進化論

IDACAの講義の続き。 一連の講義のなかで、私が取り組んだ遺伝子組み換えをしていない飼料の輸入システムについて話した。私がGMOに取り組んだのは1997年、まだアメリカでのGMOコーンはコーン作付け面積全体の2〜3%前後であった。その当時、アメリカの生産者…

霊魂と農業

IDACAでの討論の続き。 講義のなかで私達が取り組んでいる田んぼの生きもの調査を話した。田んぼの生きもの調査については、その活動の目的について様々な意見があるということを紹介した。一つはコウノトリやトキに代表される生きものを育む農業としての農…

アジアと近代農業

アジア農業協同組合振興機関(IDACA)で講義をした。研修員は13名で、ブータン、カンボジア、インド、ラオス、モルディブ、ミャンマー、ネパール、ベトナムから来ていた。午前中は講義で午後から意見交換というスタイルをとった。講義では私の仕事の経験を話し…

自然という概念

8月のブログで人類が直面している3つの課題について書いた。そこでは3つの課題の背景にあるものの正体は「欧米的自然観」ではないかという結論になった。その欧米的自然観”nature”という概念を明治維新の時に「自然」という漢字を当てた理由がこれまで分から…

9.11と9.15と3.11と生きもの調査

これまで生きもの調査を10年以上やってきて、生きもの調査が持っているパワーの根源は一体何かということを考え続けてきた。最近になってやっとそれが少しずつ分かってきた。それは9.11と9.15と3.11という、今世紀に入って人類最大の事件の課題を解決する糸…

道の駅と直売所の役割

ここ数年、直売所ブームである。道の駅では大きな直売所を構えるところが多くなり、農協の直売所と競合しているところもある。大型化することによってその売上高が倍増し、それが地域の農業に貢献しているかのようであるが、本当にそうなのだろうか。ここで…

科学的安全神話とデカルト

科学的安全神話はどのようにしてできあがったのか。その発端はフランスの哲学者であり数学者でもあったデカルトの物心2元論にあると言われている。物心2元論とは、それまでのアリストテレスやキリスト教の中世哲学の考え方から転換し、自然を精神から切り離…

偽装停電と10万年後の安全

偽装停電の文章は既に紹介したとおりである。私はこの文章を読んだ時に、原発再稼働に関する議論はこれで良いのだろうかと思った。別に田中さんの文章が間違っているわけではなく、田中さんを含めた最近の政府とマスコミの原発再稼働に対する基本的論点がず…

「需給調整契約」とは、大口企業の電気代を割安にする代わりに、電力需給がひっ迫した際に、電気利用の削減義務を負う契約。

具体的には数時間前に連絡を受けて、工場を止めたり、冷房を切ったりする義務を負う代わり、電気料金を安くしてもらう契約。

偽装停電

原発再稼働を巡って様々な議論が展開されているが私のところに友人から以下のメールが送られてきた。「偽装停電の夏を食い止めよう」と題して、環境活動家の田中優さんが次のように原発推進派の作戦に関した文章を発表しています。5月5日の今日、北海道電…

TPPとGURの酷似

私はこれまで、様々なところで20年前のGUR(ガットウルグァイラウンド)と今回のTPPが非常に似通っているということを話している。具体例として新聞の見出しが20年前と今回が殆ど同じことを挙げて説明している。ここで1993年の12月の日本経済新聞の見出しを列挙してみる…

TPPと国益

先日、TPP議論をしていて気がついたことがあった。一つはTPP参加が日本の国益を損ねると言われているが、TPPは本当に国対国の利害が対立しているのか。国益とは一体何を指すのか。TPPのGDPへの影響を試算したモデルでもマクロ経済効果は殆どないと言われ、そ…

絆と田んぼ市民

前回、国土を守るという共通認識で絆を作る話をしたが、今回は水田という国土を守る具体的な話をしてみたい。 私は数年前から生きもの調査活動を通じて「田んぼ市民運動」を提唱している。この運動は農業の持つ環境サービス機能を多くの人に理解してもらい、…

農地と国土と絆

前回は農地が生む「絆」について書いたが、TPP参加交渉問題をこの視点から書いてみたい。 エルサルバドルは1990年代にアメリカの要請に応じてコメの輸入自由化を実施した。その結果、アメリカからの輸入米が拡大し、価格的に対抗できないエルサルバドルのコ…

絆と農地

地元の交流センターの活動をしている構成メンバーに生ゴミリサイクル活動をしている女性がいる。私が日野市の生ゴミリサイクル協議会の活動をしているときからの知り合いであるが、独自に生ゴミを堆肥化する技術(バクテリアの活用)を活用して、地域で野菜づ…

絆と通訳

選挙の結果当選した地元議員の努力の結果、千代田区林間学校の跡地利用が可能となった。この跡地は戦後千代田区の小学校の林間学校として利用されていた約1ha土地で鉄筋の2階建の建物があり、当時は革靴を履いた小学校の生徒が来て浅川で遊んでいたという話…

絆と選挙

これまで絆と自治会活動について書いてきたが、活動を始めて数年後に地域から市議会議員を選出しようという話が来た。自治会活動は選挙とは全く関係の無いものであるが、自治会で培ってしまった義理と人情という絆は、無関係でいることを許さなかった。 選挙…

絆とリンゴ狩り

前回は盆踊りというイベントを紹介したが、自治会のレクリエーション活動について紹介したい。 私の自治会の地域は日野市の浅川より南側の地区で、どちらかというと開発から取り残された地域である。そのために水田や梨やブドウの畑も多数残された緑豊かな地…

絆と盆踊り

前回、自治会活動に入るきっかけを書いたが、今回は私が企画した自治会活動の一つを紹介したい。絆とは頭で考えるものではなく、人との触れ合いのなかで生まれてくる。 私の自治会活動は町名地番変更反対運動から始まったが、最初のイベントは盆踊りであった…

絆と自治会

自治会活動は民主主義の原点と言われているが、絆の視点から考えてみたい。私は20年前に日野市に引越し、その時から自治会活動を続けている。日野市への引越しの経過は、私が仕事の関係で日野市の区画整理事業を担当していた時だった。換地計画が終了し、そ…

絆と公共サービス

絆について集団生活から都市部、農村部と話をしてきたが、今回は公共サービスと絆について考えてみたい。 都市部の絆でも書いたが、下町を除く都市の生活は農村と異なり、公共サービス抜きでは考えられなかった。都市では各家庭と役所が縦糸でつながり、地域…

都市生活の絆

都市部の結びつきを考える場合に集落という言葉は使わず町という言葉を使う。日本の「町」は読んで字の如く田んぼの隣にあり、西洋の「街」は城壁に囲まれている。つまり日本の町は外敵を想定しておらず、始めは物々交換の市が立ち、それが定期化することに…

農村生活の絆

農村部と都市部における集落の結びつきの違いについて考えてみたい。 農村部、特に稲作を中心とする集落は、室町時代の惣村に始まり江戸時代の新田開発によって形成されてきた歴史がある。新田開発は従来の湖沼を中心にして行われ、埋め立てによる開発後も用…

絆と集団生活

2011年の世相を表す昨年の漢字に「絆」が選ばれた。東日本大震災や台風12号など相次いだ災害で再認識された家族や仲間、地域とのつながりの大切さを多くの人たちが感じたからであろう。「絆」という漢字は犬や馬などの動物を繋ぎとめておく綱のことであり…