TPPとGURの酷似

 私はこれまで、様々なところで20年前のGUR(ガットウルグァイラウンド)と今回のTPPが非常に似通っているということを話している。具体例として新聞の見出しが20年前と今回が殆ど同じことを挙げて説明している。ここで1993年の12月の日本経済新聞の見出しを列挙してみる。

12/7「韓国農業支援拡大へ」「近代化投資を柱に」「開放控え環境整備」
12/8「不安・決意揺れるコメ農家」「農政信じられぬ」「自助努力で応戦派も」12/8「農地の大規模集積化推進」「関税化猶予 再延長に厳しい条件」「2001年以降、政府筋「合意済み」
12/8「国会決議に反せず」「首相答弁 コメ自給原則堅持」
12/8「コメ開放反対 氷雨の空へ訴え JAなど都内で」
12/9「サービス分野 米強硬姿勢崩さず」「金融開放など不満」「韓国コメ開放今日発表」
12/10「政府筋書き乱れ混乱」「不透明な交渉・譲歩」「官邸への反発噴出す」
12/11「農業安楽死ノー」「コメ開放阻止 全中、消費者と集会」
12/11「閣僚懇 首相疲労の色濃く」「コメ決断 先送りに閣僚は一息」
12/12「コメ説得お国入りつらいよ」「与党代議士、板ばさみの週末 支持者に平身低頭」
12/14「コメ開国先見えぬ農家」「農政不信に後継難」「生き残りへ産直米に望み」12/14「食卓には不安・期待交錯」「安い外米魅力 安全性を問う声も」「輸入は最低限に」

 このようにまるで現在の新聞記事の見出しと間違えてしまうほどだ。更に、一連の見出しを見て気づくことは、20年前の記事にガット交渉の本質的内容についての説明が見当たらないことだ。これらの見出しからはアメリカがガットを通じて日本にコメ開国を迫り、日本の農家が反対闘争をしているという構図しか見えてこない。当時、国会では3回もコメの輸入自由化反対の決議をし、一粒たりとも輸入させないというスローガンだけが独り歩きしていた。この頃はまだ中選挙区制の時代で、国会議員は自分の議員としての保身のために農協の踏み絵に抵抗できなかった。ガットが世界の農業保護政策のあり方の協議をしていたという真実は殆ど報道されず、国会議員から農業保護政策の転換の提案があったという新聞記事も見つからない。

 21年前の1992年のガット交渉でヨーロッパが農業保護政策の転換をした事実の解説記事もあまり見当たらない。本来であれば、このヨーロッパのガット妥結内容を日本人が理解していれば、国会で3度も反対決議をすることは避けられたのではないかと思う。更に1992年という年は、リオデジャネイロで第1回の地球環境サミットが開催され、気候変動枠組み条約と生物多様性条約が締結されたのだ。両条約とも農業とは深い関係性を持ち、それが転換した農業保護政策の環境直接支払いとリンクしてゆくのだ。このような世界の大きな流れを把握していれば、ガットの交渉の妥結点も自ずから変わらざるをえなかったのではないだろうか。

 日本政府は従来型の高関税に代表される価格による農業保護政策しか国民に示さず、アメリカとの対立の構図だけを煽り、日本の稲作農家を弱者に仕立て国民の判官贔屓の感情を利用して自由化の結論を引き伸ばしたというのが冷静な歴史の判断ではないか。国民はガットの結論として輸入自由化を阻止したと思っているが、事実は輸入自由化の結論を2001年まで先延ばししただけだった。このことをあまり明確にすると、ガット交渉結果は国会決議違反となるので、誰かが責任を取らなくてはならなかったはずである。2001年までコメの自由化が猶予されただけであって、その見返りにMA米という重荷を背負わされたのであるがきちんとした解説記事は見当たらない。

 20年前に韓国が日本より先にガット合意したことと、今回の米韓FTA締結が日本のTPP参加を促進させる状況など非常によく似た展開である。実は韓国はガット合意以降、農業の近代化と合理化を進めたがうまくゆかず、1997年に家族農業を大切にする農業政策に転換をしているのだ。直接支払い政策も日本に先行して実施されているし、有機農業を軸にした農業が推進され、私達も有機農業のマーケットを広げるために韓国の生協と一緒になって生きもの調査の運動を広げている。残念ながら韓国のFTA反対運動だけが情報として提供され、地道な市民活動は日本に情報として提供されていない。

 20年前のガット交渉の失敗は交渉内容を国民に分かりやすく解説しなかったことと世界の動向を的確に状況判断できなかったことに起因するのではないだろうか。今回のTPPでも全く同じ状況が展開されている。本当に国民の健康と命に関わる農産物の貿易自由化が正しいことなのか。国民の健康と命に関わる医療制度を脅かすような障壁を撤廃していいのか。今、原発再開で揺れているが、この問題も原発が国民の健康と命を脅かす危険性を持っている以上、国民が納得する説明ができない限り再開してはならないはずだ。国民も政府やマスコミの情報提供を待つのではなく、自ら情報を収集して自分の意志を明確にしなければならない。これが20年前からの教訓である。