TPPと国益

 先日、TPP議論をしていて気がついたことがあった。一つはTPP参加が日本の国益を損ねると言われているが、TPPは本当に国対国の利害が対立しているのか。国益とは一体何を指すのか。TPPのGDPへの影響を試算したモデルでもマクロ経済効果は殆どないと言われ、その反対に産業分野でのマイナスの影響が大きいという結果がでている。それにも関わらずTPPが進められている理由は、国益の向こう側に隠れているグローバル企業の世界での自由な活動を阻害する要因を排除することが国益と称せられているからではないか。

グローバル企業は国境を超えた存在であり、利益と配当を最優先に考える。そこには国としての「地域の暮らしと命を守る」責務は存在しない。グローバリゼーションと市場原理主義を旗印に世界で活動を展開しているグローバル企業の利害が対立するのは、企業活動に不都合なそれぞれの国の仕組みや制度ではないか。それぞれの国の仕組みや制度はその国の歴史と風土に基づいて国民を第一に考える仕組みであり、国際化を前提にしていない。その仕組や制度を変えることによって一番迷惑を受けるのは国民ではないか。グローバル企業はその仕組みや制度を変えた国で企業活動を展開して利益をあげる。こんな利害対立の構図が見えてくる。

 日本でも1990年代半ばに「規制緩和」という名のもとにグローバリズム市場原理主義が導入されたが、国民経済は不況から脱出できなかった。規制緩和によって食管法から食糧法に制度が移管し、国はコメの価格統制機能が無くなり、米価は下落の一途をたどった。一方、日本に籍を置くグローバル企業は企業買収を繰り返し、工場の海外移転を進めた。その後、リーマンショックによって金融関係のグローバル金融機関は打撃を受けたが、日本の金融機関はバブルから完全に回復していなかったのが幸いした。今回の問題でも日本のグローバル企業はアジアのマーケットに対してTPP参加が企業利益にとってどのように作用するかという立場で政府に働きかけていることは間違いない。日本のグローバル企業にとって、日本の医療制度や農業がどうなるかは関心事ではなく、企業利益がどうなるかが最大の関心事なのだ。

このように今回のTPP参加問題を「国益」という視点で捉え直してみると、今、世界で何が起きているのかが見えてくる。TPP以前にはWTOがあり、その前にはガットウルグァイラウンドがあった。本来は世界平和を目的に自由貿易を堅持するために存在したGATTであり、WTOであったはずのものが、何故、TPPやFTAEPAといった2国間や限定された経済圏の交渉に移管せざるを得なかったのか。私は専門家ではないので勝手な推測であるが、1995年以降のグローバル企業の動向が多国間交渉という世界の貿易ルールを決める場の機能を奪ったのではないかと思う。グローバル企業といえども世界の総ての国の制度を相手にして、自分の企業に都合の良いルールづくりはできない。そこでWTOドーハラウンドを挫傷させたのであるが、GATTの設立趣旨からするとブロック経済圏に移行することは世界平和に逆行することではないのか。グローバル企業は従来の国対国の貿易という概念を変え、企業内倫理規定に基づいて行動している。それはGATTが目指した世界平和へ貢献する自由貿易と同じものなのだろうか。

私は違うと思う。その理由はグローバル企業が国と違って軍隊を持たないからだ。その結果、TPPは経済圏交渉であるにも関わらず、国別の安全保障と深く関わっている。だからTPPを単純に参加国のGDPだけで判断したり、日米安保に基づく中国対策などという単純な図式でみてはいけない。今回のTPPの最大の焦点はアジアのマーケットに対する戦略であり、そのためにTPPの対立する動きとしてASEAN+6の存在が顕在化している。そこにはインドが参加し、ロシアも興味を示している。これらの国との関係は、日本との個別の関係だけでなく、中国とベトナム、中国とカンボジアベトナムカンボジア、ミヤンマーとラオスと中国、タイとカンボジア、タイとマレーシア等の関係が民族、歴史、宗教等の対立のなかで複雑に絡み合っている。更に、南沙諸島の問題や尖閣諸島竹島問題等の利害関係をそれぞれが持っている。今回のオーストラリアのダーウィン基地の問題も沖縄の基地移転問題と合わせ中国との関係性でみなければならない。

このように今回のTPP参加問題は従来の単純な経済問題ではない。そこには新しいグローバル企業と国民の利害関係、グローバル企業と国際軍事バランス、先進国と発展途上国の利害関係、それらの関係性のなかで自分たちの国の仕組みや制度に基づいた地域の暮らし、そして私達の命と将来の子供たちの命をどのように守るのかが問われている。今、日本では3.11以降、FUKUSHIMA問題を契機に人間としての生きる価値観が大きく変わろうとしている。国益とはGDPなど数字で表される経済的価値ではなく、国民の暮らしと命を守ることであることを再確認しなければならない。