従軍慰安婦問題と奴隷

アメリカの地方議会で韓国の慰安婦像の設置が可決されたという新聞記事を読んでずっと違和感を感じていた。最近、その違和感の原因が分かった。その原因とは従軍慰安婦がsexslaveと英語訳されていたことだ。Slaveという言葉は奴隷と訳され、殆どの日本人はアメリカ大陸における黒人奴隷を想起し、リンカーン奴隷解放をしたという知識レベルである。
しかし奴隷に対する欧米の感覚は日本人とは全く異なる。そもそも奴隷制度はギリシャローマ時代から存在し、戦争で負けた国の人間は殺されるか奴隷になるかの二者択一だった。アテネの民主政の底辺には奴隷の存在があり、自由と平等はそこには存在しない社会であった。マックスウェーバーの古代文化没落論によればローマ帝国の時代はその領土拡大の過程で多数の奴隷を獲得し、その殆どが植民地の農園労働に従事させられ、それがローマの繁栄を支えていたという。そのラティフンディウムにいた奴隷たちは商品作物の生産に従事させられ財産も家族も無く、「しゃべる家畜」であった。奴隷は家族を持たないので供給は絶えず外部から補給されなければならなかった。しかしローマの平和によって戦争による領土拡大が停滞すると奴隷の供給が途絶え、農園の奴隷労働経済は崩壊し、その結果、ローマ帝国は滅亡したと言われている。その後、奴隷は領主から土地を与えられる代わりに特定の労役を負担する農奴となり、中世の荘園経済へと組み込まれていった。農奴は古代の奴隷と異なり家族を持てるようになり、封建制の基盤である小農民経営へと移管した。
日本の場合、奴隷という概念は弥生時代に中国皇帝に「生口」を献上したという記録がある。しかしこの生口が奴隷を意味したものかどうかは分かっていない。更に日本には「穢多非人」という身分制度が存在していたが、それは専門職業的要素が強く奴隷という概念には相当しない。朝鮮半島の場合、高麗時代に「貢女」が中国皇帝に献上されたという記録があり、韓国のテレビドラマでも良く出てくる。しかし双方ともに「しゃべる家畜」ではなかった。
しゃべる家畜としての奴隷の問題はヨーロッパの身分制度になかに組み込まれていたが、本格的な問題となったのはヨーロッパの植民地獲得競争の時代にアフリカ、新大陸における三角貿易の商品としての奴隷が取り扱われるようになってからである。アフリカ人は人種的にヨーロッパ人とは異なるという学説があったために、ダーウィンは進化論の発表ができず、奴隷解放宣言以降に発表されたと言われている。ダーウィンの進化論についてはキリスト教の宗派の一部で禁止されており、進化論と人種差別問題が未だに解決されていない。黒人の公民権が認められるようになったのは1964年まで待たなければならなかった。このように奴隷に対して「負の歴史」を持つ欧米人が朝鮮人慰安婦をSexslaveと訳されて報道された場合に、「しゃべる家畜」としての奴隷問題を想起してもおかしくない。
しかし高麗の貢女も日本の吉原への年季奉公も商品としての奴隷ではなく、そこには人身売買の要素はあっても期間限定の労働力売買の契約であり、年季奉公が明ければ自由となり、そこには商品としての奴隷は存在しない。言葉というものはその国の長い歴史のなかで理解されており、認識の度合いも異なっている。これからは日本の国の言葉の持つ価値観をきちんと世界に伝えていくための努力を政府も国民もしなければならない。これは慰安婦の問題だけに限ったことではない。