サンフランシスコ講和条約と自衛隊

大嘗祭憲法の項目でも書いたように戦後の歴史のなかで不思議に思うことを整理してみたい。その3つ目がサンフランシスコ講和条約日米安保条約である。

ポツダム宣言受諾後の日本では「終戦」という天皇の意志が国民に伝わり、占領軍により武装解除がなされ、その国体としての戦争放棄憲法に明記された。この戦争放棄という方針は第1次世界大戦後のパリ平和会議に端を発し、第2次世界大戦が始まってからは1941年の大西洋憲章によって連合国の戦後処理方針として構想された。つまり太平洋戦争開始以前から国際連合という枠組みのなかで世界平和を実現することが確認されていたのである。
日本の戦後処理構想はこの流れに沿って行われていたので、憲法9条に戦争放棄が謳われていても、当時の日本人としては日本の今後の国体のあり方として当然と受け止めていたと思われる。現在の憲法改正論議で第9条の戦争放棄は占領軍によって押し付けられたものという議論があるが、当時の国際情勢や国民の考え方からすると偏っているのではないだろうか。それぞれの時代の国際的国内的背景と国民としての考え方を勘案することが大切であって、その情勢が大きく変化する時に憲法改正の議論を国民全体でしなければならない。
その世界情勢が大きく変化したのが1950年の朝鮮戦争の勃発であった。国際連合は設立されたものの国連軍が機能するには至らず、そのような状況に対処するために警察予備隊が設立された。その後、東大の南原総長の全面講和と吉田茂の単独講和の論争を経て、日本は西側諸国との講和を優先し、1951年にサンフランシスコ講和条約が締結され、日本は主権を回復した。しかし朝鮮戦争は継続中であり、反共の防波堤としての在日米軍基地の重要性は増し、サンフランシスコ講和条約を締結した。講和条約によってGHQによる日本占領が終結したので、同日に日本からアメリカ軍に対して駐留を依頼する日米安保条約が締結された。最初の安保条約は日本からの駐留依頼の片務契約であり、1960年の安保条約は日米地位協定を伴う双務契約であり、その体制が今日まで続いている。51年安保と60年安保と自動更新された70年安保とそれぞれあるが、締結された時代背景は大きく異なっていたことと当時の日本人がどのように受け止めていたか理解しなければならない。1952年に警察予備隊は保安隊に改組され、1953年には朝鮮戦争の休戦協定が締結され、1954年に自衛隊に改組され今日に至っている。その間、1956年には国連に加盟し、1956年に日ソ共同宣言が出され、1957年には砂川事件に対する伊達判決が出されたが、それは立川基地の使用に関する日米地位協定憲法違反ではないかということを問われたものであった。
このように戦後レジームの変化は自衛隊憲法改正論議はでるものの、日本人の心のありようとして天皇と国体の議論はなおざりになっている。今回の天皇の退位表明は政治的発言が許されていないなかで、何を意味するのか。「終戦」という心を表明した昭和天皇から「退位」という心を表明した平成天皇まで、天皇は国民に何を伝えたいのか。象徴としての天皇が第1条に明記され、第9条では戦争放棄天皇の心として明記されるなかで、日本人の心を引き継ぐ大嘗祭が来年行われる。これは何を意味するのであろうか。私は憲法9条の会にも出席したことがあるが、これまでの経過をしっかりと把握せずに憲法改悪反対を叫んでいたように思う。それぞれの時代の情勢把握とそれぞれの時代の日本国民の心を理解せずに、平和憲法を守ることで頭がいっぱいになっていたような気がする。
今、将に、日米安保に大きな変化が起きようとしている。アメリカの世界政策が大きく転換しようとしている。中国の軍事的プレゼンスが東アジア情勢に大きな影響を与えている。朝鮮戦争終結により朝鮮半島からアメリカ軍が撤退するかもしれない。米朝合意により核の傘が撤去された時に日本の米軍基地はどうなるのか。誰がどのようにして日本という国体を守るのか。第9条に「自衛隊」を明記するだけで解決する問題では無い。私達はこのような状況のなかで戦後70年間と同様の態度で良いのだろうか。良いわけは無いし、このままでは日本人はディアスポラとなる可能性は高く、なったとしてもユダヤ人のように民族としての持続性を担保できるものは持っていない。彼らはバビロン捕囚のなかで「一神教」という生き残る知恵を生み出し、2500年後にイスラエルという国を復活させたのである。もし今から2500年後に世界の歴史があったなら、その書物から「日本」という国の歴史は消滅していることだろう。