有機と持続可能

ベーシックインカムとボランティアのところでも書いたが、日本での有機農業はなかなか進展していない。その理由は何故かと言うと、国民の殆どが有機農業は単に化学合成物質を使用しない「食の安全」を志向する農業だと思っているからだ。有機農業という言葉はハワードの「農業聖典」に書かれている「オーガニック」を「有機と訳したところから始まっている。別に訳し間違いではないが、オーガニックの本来の意味合いは「持続可能」という意味であり、それは「サステイナブル」という言葉で表されている。農業聖典が訳された昭和の40年代に「持続可能農業」ととう言葉を使っても殆どの日本人はその言葉の意味を理解出来なかったであろう。当時はレイチェルカーソンが書いた「沈黙の春」が話題になっており、そこに書かれていた農薬問題の影響から有機農業という訳に落ち着いたものと思われる。つまり化学農薬等の無機化合物つまり化学合成物質を使用しないのだから「無機」の反対語として「有機」という言葉が使われたのである。
私の有機との出会いは、30年前のヨーロッパ駐在時に日本種野菜の契約栽培をしているオランダ農家の中に有機栽培に取り組んでいる若者がいたことから始まる。彼とはゴボウの契約栽培等をしていたが、家に上がり込んで有機栽培に対する様々な意見交換をしたことを覚えている。当時の西ドイツにはデメーター等の有機農産物の認証機関や店舗があったがメジャーでは無かった。その後、日本帰って暫くの間、違う仕事をしていたが、平成7年にJETOROがアメリカの西海岸の有機認証の仕組みを紹介したのを契機に有機の取組を開始した。取り組むなかで当時の日本では珍しい有機農産物を取り扱っている種山ヶ原という会社と出会った。彼はアメリカで長くヒッピーとして放浪しており、アメリカの有機農業関係者を良く知っていた。彼からの情報とヨーロッパでの経験を元にして全農で有機産直プロジェクトを提案した。肥料農薬を大量に取り扱っている全農で有機の取組をすることは将に異端児であった。しかし平成8年には種山ヶ原の協力を得て、アメリカオーガニック研修を企画した。内容的にはアメリカを縦断しながら、オレゴンティルス等の有機農産物の認証機関や有機農産物の生産農家、更に有機農産物を取り扱っているホールフーズ等のスーパーを見学して意見交換をした。その時に印象的なことは、自分たちは有機農業をアジアから学んでいるといって、日本の肥溜等が写っている写真が掲載されている書籍を紹介してくれた。将に有機が目指す地域循環型社会が日本にあったのである。更に東海岸のウォルナットエーカーズでは有機農産物の生産から加工・販売・小売までおこなっており、そこには地域雇用に貢献する姿があった。テキサスのナチュラビーフの牧場ではブロックローテーションを基本とした生産はもとより、屠畜・解体・部分肉製造を個体識別番号別に行っており、その後の日本でのBSE対策に役立った。その年には日本で初めての有機農産物の基準づくりを目指したDEVANDAに参加した。平成9年に有機産直リーダー協議会にも参加し、国内有機生産者のネットワークの一員となった。その当時に加藤登紀子の旦那さんの藤本さんと仲良くなり、様々な夢を語ったが残念ながら今はもういない。
その後、偽有機ダンボール事件が起き、農水省は農産物流通の表示適正化の委員会で有機という言葉の定義を定め、平成13年に有機JAS法という形になった。当時の委員会に私も出席していたが、当初は有機農業の普及推進を図るための集まりだと思っていた。しかし残念ながら検査認証制度を伴う表示の適正化に終始してしまい、有機農業の推進に関する法律は5年後の平成18年までかかり、それも議員立法という形で成立した。
このような形で日本の有機農業は推移してきたので、検査・認証制度だけが表に立ってしまい、有機農業が何を目指すのかの議論がお座なりになってしまった。有機に対する適正な表示がされた後も、消費者は肥料農薬を使用しない農産物が有機農産物だという理解をしていた。それは「食の安全」の視点だけで有機農産物を見て、そのコストをEUのCAP政策のように直接支払いという税金で賄うという議論にはならなかった。有機の生産者もこの間、産直相手先である生協等の顧客確保を優先してしまい、地域全体における有機農業の役割の議論が展開できなかった。平成12年には環境3法が出来て、畜産堆肥を対象にした地域循環型農業への対応を求められたが、畜産有機農家が殆どいなかったので有機とは別問題として取り組まれた。本来であれば地域循環型農業と有機農業をセットで考えれば「持続可能な地域」という概念が生まれ、それは有機農産物に価格転嫁するものではないということが分かる。
2012年にローマクラブの成長の限界の総括が出されたにもかかわらず、アベノミクスでは経済成長を追い続けている。本格的な人口減少社会に突入している日本で未だに高度経済成長社会を夢見ているのはおかしいのではないか。それは地域社会に根付き、持続可能な生き方を模索しない限り見えて来ないのではないか。有機農業を支える「サステイナブルシステム」として直接支払いが存在するのであるが、残念ながらベイシックインカムと併せて本格的な認識には至っていない。日本人の心のありようをもう一度、考え直さなければならない。