絆と田んぼ市民

 前回、国土を守るという共通認識で絆を作る話をしたが、今回は水田という国土を守る具体的な話をしてみたい。

 私は数年前から生きもの調査活動を通じて「田んぼ市民運動」を提唱している。この運動は農業の持つ環境サービス機能を多くの人に理解してもらい、環境直接支払いが可能となるような世論形成が目的であった。当時のテレビ討論会等で農業問題を議論すると殆どが食料という経済サービス機能に特化されてしまっていた。価格問題では規模拡大による国際競争力の確保、食の安全問題では農薬問題や有機農産物問題、食料安全保障問題では自給率地産地消問題、流通問題では規格の簡素化、表示の適正化問題等が議論されていた。20年前に世界の農業保護政策は関税化による価格支持政策から転換していることを意識していない。更に農業保護政策が産業政策と地域政策に分けられ、EUでは農業が地域の環境政策に貢献していることに対して環境支払いが進んでいる事等の認識が殆ど無いことが番組で証明されていた。この問題は今日のTPP参加問題の本質を議論する際に一番必要な認識なのであるが、総ての価値をお金に換算して考えることしかできない社会では困難を伴うのみと思っていた。しかし3.11以降、日本人の価値観も大きく変貌しつつあり、今後に大いに期待している。

20年前にOECDでは農業の多面的機能を金額で表現したが、保水機能がダム何個分で金額的には何億円であるといっても、殆どの国民は実感として理解できない。私はその実感できない部分を補うために、実感できる手法として「生きもの調査」を始めた。当初は生協の産直交流会のイベントとしてスタートしたがそれには理由があった。産直交流会は生産者と消費者の顔が見えることが大切で、それは「食の安全」を切り口にしていた。当時はそれが産消提携の絆だと言われていたが、私には経済的利害関係の契約にしか見えなかった。私は経済的利害関係を超えた「共通言語」を生きもの調査で創造しようとしていた。

その後、生きもの調査が進展するにつれて「お米」という商品を介在する関係は生産者と消費者だが、「生きもの」が介在する関係をどのように表現したらよいか悩んだ。生きもの調査に参加している人たちには経済的利害関係は存在せず、そこには「生きものを育む田んぼを守る」という共通の目的を持った人間しかいない。田んぼの生きものを育むには、そこに田んぼが存在し続けなければならない。お米という商品の生産装置として田んぼが介在するのは生産者と消費者であるが、生きものを育む田んぼ守る人たちは「田んぼ市民」という呼称にしようということになった。

 当時はあまり「絆」ということを意識しなかったが、田んぼ市民運動は将に田んぼを介在にした「絆づくり運動」だったのだ。現在は生きもの調査を実施している市町村やJA管内を特定し、そこの農家が田んぼ市民になり、その地域の農家でない人も生きもの調査に参加して田んぼ市民になり、そこで生産されたお米を食べている地域外の消費者も賛同して田んぼ市民になるという運動になっている。同じ市町村のなかでの生きもの調査が介在する「地縁」という「絆」。物理的な距離は離れているが生きもの調査をしている田んぼを一緒に守る「産直」という「絆」。更に田んぼ市民は田んぼの生きものたちと「絆」を結び、田んぼの存続を支援する活動へとつながる。

 日本国民がなかなか理解できていない、農業政策のなかの地域政策、そして環境サービスという概念をこの運動を通じて理解して欲しいと思っている。田んぼ市民による相互支援は将に「絆」による民間型の環境直接支払いであり、このような関係性ができればTPPで関税が撤廃されても日本の国土である農地は守れる。TPP参加の議論と反対運動に向けるエネルギーがあるのであれば、田んぼ市民運動を積極的に展開するエネルギーに転換することをお勧めする。20年前に3度も国会決議をした米輸入自由化反対運動のその後を総括してみれば、今やるべきことが見えてくる。