農地と国土と絆

 前回は農地が生む「絆」について書いたが、TPP参加交渉問題をこの視点から書いてみたい。
 エルサルバドルは1990年代にアメリカの要請に応じてコメの輸入自由化を実施した。その結果、アメリカからの輸入米が拡大し、価格的に対抗できないエルサルバドルのコメ農家は崩壊し、国内水田は4分の1となった。その後、2008年に起こった穀物相場の急騰により、エルサルバドルの農村部では子供の栄養失調が広がった。

 この話をすると、「アメリカの言うことを聞いて輸入自由化をすると大変なことになる。だからTPP参加に反対すべきである。」という論理展開になってしまうが、この話で一番重要な点は何か。それは「水田が4分の1になった」ことだ。エルサルバドルでも穀物高騰後に自国の水田でコメの生産を復活すれば、子供たちの栄養失調も広がらずに済んだのではないか。TPP参加問題は農業と輸出産業という産業政策の面だけで議論され、関税を撤廃しても直接支払いで農家を保護すれば良いという論理を展開している人もいる。その論理に対して、直接支払いをする財源が無いという論理で反対している人がいる。本当にそんな議論でいいのだろうか。

 エルサルバドルアメリカの強い影響下にある国であるが主権国家である。国民は安い価格のアメリカ米を選択するときに、自分たちの選択が子供の栄養失調につながる結果を予想したのだろうか。国民はコメを目の前にして、安い方が自分の家庭が経済的に助かるという単純な考えでアメリカ米を選択しただけなのだ。この選択をした国民をエルサルバドルという国家は非難できるのだろうか。

 20年前のガット交渉の時と同じことがTPP参加問題でも行われている。TPPに参加して関税が撤廃されたら困るのは誰なのか。日本の農家だけなのか。エルサルバドルの例に従えば、困るのは日本国民全体であり、弱者である子供たちではないのか。眼前のコメという商品の議論しかしていないので、国民にはそのことが分からない。コメの相場が下がれば、いずれ農家は自分の家族の分以外のコメは作らない。慈善事業ではないのだから。作付けをしなくなった水田は耕作放棄地になる。耕作放棄が長く続くとエルサルバドルと同様に生産の復活は直ぐにできない。コメの国内生産が減少しても、国民は食の安全を脅かされない限り安い輸入米を選択する。ここでコメの国際相場の暴騰の話をすると、TPP参加による輸出産業の利益によって国民所得は向上しているので、コメの価格上昇分は吸収できるという議論になる。堂々巡りの議論展開となる。

 エルサルバドルという他国ではあるがこの歴史の教訓を活かすためには何をしなければならないのか。これが見つからないと悲劇の歴史は日本でも繰り返される。重要なポイントは国民がコメという商品だけで議論していることではないだろうか。コメを作る水田が自国にあるか他国にあるか。これを生産装置だけで考えると工場の海外移転と同じことになる。コメの国内生産工場が円安によって海外に移転するという構図である。しかしここで考えなければならないことは、自動車や家電製品の工場が海外に移転しても経営は日本人が行なっている。日本以外の国が日本より高く製品を買ってくれるから日本への輸出は後回しにするということが起こるのだろうか。たとえ起こったにしても、日本人は電力不足にも耐えるようにクルマや家電製品が無くても耐えていける。
しかしコメの生産工場を海外に移転するという話では、経営は日本人が行なっていない。この点がクルマや家電製品との根本的な違いである。日本へコメ輸出を優先的にしてくれるという約束はTPPのなかにあるのだろうか。更にコメは日本人の命をつないでいる基幹食料であることを忘れてはならない。将に水田という国土は移転できないのである。

 国民の命を守ることが国家としての最優先事項であるのは皆が知っている。自衛隊憲法違反だから解散すべきだという人はもういない。自衛隊は国民の税金で成り立っている。国民は自分及び家族の命を守るために税金を払っている。そうであれば、国民の命を守っているコメを生産する農家は税金を払ってでも守るべきではないか。自衛隊の活動は経済行為ではなく無償行為である。しかし農家の活動は経済行為だから、税金を投入するのはおかしいという人に対しては農地のことを考えてもらいたい。農家は農地がなければ経済行為ができない。農地は国民の命を守る国土であるから農地法により守られている。経済行為として農地を勝手に売買できないようにしている農地法は国民の命を守るためであって、農家を守るための法律ではない。農家は農地法によって自由な経済行為を縛られているが、それは国土を守るための制限である。農地は民法上、農家の所有権であるが、所有だけでは維持できない。農地は農家によって耕作する経済行為が義務付けられているからである。農地とはこのような制限のなかで守られている国土なのだ。農家は将に国を守る自衛隊と同様に、国土を守る人間なのだ。その国土が守れないような状況に追い込む仕組みがTPP参加問題なのだ。

ここでTPP参加反対の議論を中止してまっては20年前に戻ってしまう。国土と農地、自衛隊と農家の関係をしっかり認識してもらう努力をしないと、同じ問題が何度も繰り返される。しかし頭の中だけの理解では、エルサルバドルのように眼前の商品選択の際に家庭内経済が優先してしまう。そのような行動をしないような国民全体の意識改革を進めなければならないが、一体誰がするのか。残念ながら、それは農家しかいない。農地を持った農家は耕作を義務付けられるように、農地という国土を持った農家は国民の意識改革の義務を負わなければならない。農家は非農家を見ると総て消費者だと思ってしまうが、これでは問題は解決しない。農家は耕作することにより国土を守り、非農家は税金を支払うことにより国土を守り、ともに日本人として日本の国土を守る。国土を守るという行為が共有化されて、始めて日本人としての「絆」が認識される。