絆と農地

 地元の交流センターの活動をしている構成メンバーに生ゴミリサイクル活動をしている女性がいる。私が日野市の生ゴミリサイクル協議会の活動をしているときからの知り合いであるが、独自に生ゴミを堆肥化する技術(バクテリアの活用)を活用して、地域で野菜づくりの活動を展開している。せせらぎ農園という名称で近くの農家から農地を借り受け、仲間と一緒に野菜づくりをしている。

その彼女から都市農地に関する勉強会をしたいので協力をしてくれないかという話がきた。理由は現在借りている農地で相続が発生した時に返還しなければならず、せせらぎ農園が継続できないという問題であった。そこで平成21年に彼女の仲間や日野市の消費者運動連絡会のメンバーが一緒になって「市民による都市農業研究会」を立ち上げた。当初は市街化区域内農地に関わる税制の問題を中心に、相続税、固定資産税、農地法都市計画法、改正生産緑地法市民農園整備促進法等の勉強を始めた。参加者は自分たちの住まいの周りにある農地が減少する理由が分かるにつれて、何とかできないものかという思いが強くなっていった。それは単なる農地の借り手としての問題ではなく、同じ日野市民としての農家が自分の思いとは別に、農地を手放さざるを得ない状況に追い込まれている社会の仕組みに対する憤りであった。

 バブルの時代には農地が地価高騰の原因とされ、生産緑地か宅地化農地かの選択を迫られ、農家の家庭の事情や周辺社会の状況変化を考慮しない仕組みの中に閉じ込められてしまった。当時の社会は「土地を持てる者」と「土地を持たざる者」という対立の構図であったが、今や農地を単に土地として見ている市民は少ない。更に本人は農業を継続したくとも子供たちのことを考えると、相続税対策としての土地区画整理事業をせざるを得ないという状況にある。市は「農あるまちづくり」と言い続けているが、実態は「農が継続できないまちづくり」を進めている。ここを追求すると相続税国税問題だから市としては手の打ちようが無いという見解に終始する。これは日野市だけでなく、市街化区域の市町村総ての言い訳である。

 バブルの時代から20年が経過し、「土地を持たざる者」としての一般市民は農家との対立の構図のなかにはおらず、農家と一緒になってこの問題を解決しようという立場に立っている。それは農地の持つ機能がこれまでの食料を生産するだけの機能から大きく変化してきたことを意味する。日野市は学校給食の地産地消比率が高いことで有名だが、食材としての安全性を可視領域の生産に求めているだけではない。子供たちが田んぼで生きもの調査をしていることからも分かる。市民農園においても同様の傾向が見られ、小さな区画で野菜を作る市民のレクリエーションから農家の指導やコミュニケーションによる農業体験農園へとシフトが始まっている。これらの動きは自分たちの周辺にある「農地に対する思い」が従来とは大きく様変わりしていることを意味する。

それは農地そのものに対する思いではなく、農地が媒介する人間の「絆」ではないだろうか。農地から安全な食料を得ることよりも、農地に集まる人間との関係性を獲得することの重要性に気づいたのだ。持つ者と持たざる者という関係性ではなく、生産者と消費者という関係性でもなく、そこに存在するのは同じ地域に住む人間としての関係性ではないだろうか。最近、ニューヨークではコミュニティガーデンが数多く作られ、都会生活に変化が現れているという報告も、同じ傾向を意味している。

 私はこの研究会で現在「コモンズ農園」という企画を提案しているが、将に都市農地は地域の共有財産であるという論理である。そこには所有とか相続という概念はなく、地域に農家も含めた市民と生きものにとって必要な空間を持続する考え方と手法を提案している。現在の法体系を変えずに可能な手法であり、今後、予定されている都市計画法の改正を待たずに着手できる。私が長年に渡って関わってきた農業と農地問題と、同様に関わってきた地域活動から得られたものである。平成34年の生産緑地法解除で予想される問題を今から想定して、地域の農家と真剣に話をしてゆく予定でいる。