絆と通訳

 選挙の結果当選した地元議員の努力の結果、千代田区林間学校の跡地利用が可能となった。この跡地は戦後千代田区の小学校の林間学校として利用されていた約1ha土地で鉄筋の2階建の建物があり、当時は革靴を履いた小学校の生徒が来て浅川で遊んでいたという話を聞いている。その後、林間学校は廃止となり、敷地内の建物には千代田区内の大名屋敷の遺物が沢山置かれていた。これまでも何度か、地元住民からは跡地の開放の要望が出ていたが実現しなかった。
しかし地元選出の議員の力は強いものがあった。日野市と千代田区の交渉の結果、固定資産税を免除する代わりに跡地の利用が可能となった。日野市からは跡地を地域の交流センターとし、その運営を地元に任せることになった。

 そこで跡地利用を希望していた子供と一緒に遊ぶ活動をしているNPOや地元の自治会をメンバーとした連絡協議会を立ち上げた。しかし協議会で議論を始めたが話がなかなか前に進まない。理由は地元の自治会の主要メンバーは保守的であり、NPO若い女性活動家に対する偏見があった。自分たちが選出した議員の活動の結果、跡地利用が可能になり、自治会主導型で活動をしようとしているところに、何で訳のわからないNPOが出てくるのだ。話している日本語の意味も良くわからないということになり、一時は険悪な雰囲気となった。当時の私は自治会活動も10年以上になり、周辺自治会との連携活動もしていたので、私が通訳をしなければならなかった。私は仕事の関係で生協の活動家とも親しかったので、お互いの主張を優しい日本語に訳して何とか共通の土俵に乗せた。地域の活動にイデオロギーを持ち込むのは厳禁で、地域住民のためにどのような運営をしたら良いかという点に絞って協議会を運営した。

運営の具体的イメージを持つために、市外の交流センターの研修を何度か重ねた。研修の結果、一番大切なことは事務局の会議室に冷蔵庫を入れてビールを冷やすことだという結論に達した。そのために各自治会で不要の冷蔵庫や食器棚を集め、調理室という名前の会議室に置いた。調理室には以前からガスと水道が設備されていたので、交流という名前の会議やイベントが可能となった。

 連絡協議会では周辺住民に交流センターの利用希望アンケートを実施し、それに基づいてセンターの利用規則、事務局の構成、事業計画等を立案し、正式に落川交流センター運営委員会として平成16年に発足した。当初の構成メンバーは地元の9自治会、3子ども会、3NPOを含む地域活動団体、地元消防団、地元商店会に日野市役所の関係部署であった。当初の協議会設立メンバーが事務局となり、私はここでも事務局長となり、自治会の事務局長と兼務であった。

 活動を開始するに当たって一番困ったのが予算の無いことであった。一般の自治会は自治会費を徴収し市からも補助金がでるが、交流センターは自治会では無いのでお金は何処からも出ない。そこで最初は構成メンバーの自治会連絡協議会と交渉し、2万円の助成金をもらうことに成功した。しかし財政基盤は殆ど無いに等しいので交流センターの活動は総て自賄い方式とした。発足した初年度の活動はセンター披露パーティに始まり、子供を対象にしたサマーキャンプ、地元の竹を使ったソーメン流し、後にホタルの活動に発展する親子自然教室、後に餅つき大会に発展する手打ちウドン大会であった。現在では地元でのホタル復活を目指して活動しているホタル鑑賞会に700人、サマーキャンプやソーメン流しに120人、お正月餅つき大会に120人集まっている。更に11月には秋のごみゼロ収穫祭というイベントに120人が参加し、地域の生ゴミを集めて堆肥化し、その畑で収穫した野菜を食べる活動をしている。当初はごみ出しに協力してくれる人が集まらなかったが、このイベントを通じて多くの人が生ゴミリサイクルに協力してくれるようになった。

 このような活動は総てその都度、参加費を徴収し、お手伝いは完全ボランティアという形で実施し、収支均衡させている。実際は多少の利益を出し、その予算を活用してイベント用の釜戸セットや蒸篭と臼と杵、調理道具等を買い揃えている。地元には鉄骨組立、土木工事、大工等の様々な職種の人がおり、彼らが自分の特技を活用して協力してくれ、お手伝いをしてくれる女性も2種類おり、自治会関係の高齢の女性と子ども会の若い女性がいる。これらのお手伝いの人たちを取りまとめて不平不満が出ないように調整するのも一苦労で、立ち上げ時と同様の通訳を今もしている。

 現在では交流センターを利用する団体が100を超えており、地域の交流には確実に役だっている。更に、交流センターは災害避難場所に指定されていないが、指定されている近くの小学校に行かないで、こちらに避難する人も多いのではないかと思っている。何故ならば、普段からの交流センターのイベントは「炊き出し」の訓練をしているようなもので、最近では非常用の寝具も揃えるかという話が出ているくらいである。

「絆」とはこのような日常の活動の中から自然に発生するものであり、地域のボランティア活動を円滑に進行させるためには「通訳」が必要であることも忘れてはならない。