霊魂と農業

IDACAでの討論の続き。
講義のなかで私達が取り組んでいる田んぼの生きもの調査を話した。田んぼの生きもの調査については、その活動の目的について様々な意見があるということを紹介した。一つはコウノトリやトキに代表される生きものを育む農業としての農家が実施する生きもの調査。一つは子供たちの食農教育の一環として取り組まれている生きもの調査。一つは渡り鳥を守る自然保護運動の一環として取り組まれている生きもの調査。それぞれの取組は目的を達成する手段として生きもの調査を位置づけているが、私たちは生きもの調査は手段ではないと感じているという話しに入った。

この説明をするのに苦労したが、「自然」と「人間」の立つ位置関係で説明した。西欧的自然観では人間は自然の外側におり、自然を客観視し、その自然を管理することに主眼を置いている。アジア的自然観では人間は自然の内側におり、人間は自然とともにあり、自然と一体となって生きることに主眼を置いている。
近代農業の発展とともに経済発展優先の先進国の仲間入りをしていくと、アジア的自然観から西欧的自然観に変わっていく。現在の日本人は殆どが西欧的自然観に洗脳されており、その事自体に気がついていない。田んぼに入って生きもの調査をすると、以前の日本人が持っていたアジア的自然観が回復される。生きもの調査は西欧におけるルネッサンスのようなものでアジア的自然観の回復運動であり、単なる目的を達成する手段ではない。

このような話しをしながらFAOから提供された東南アジアでの農村生活の写真を紹介した。日本の農村では既に見られない風景であり、田んぼの魚貝類、水生植物、爬虫類、甲殻類、昆虫類、軟体動物等を食べる食生活である。FAOは米作中心の近代農業への転換よりも、現在の農村の食生活を維持するほうが世界の飢餓対策上、効果があるという結論なのだ。将にこのような農村地域では生きもの調査の必要はなく、生きものは食物として大切な位置にあり、人々はアジア的自然観のなかで生活している。ちなみに研修生の一人に聞いたら、このような農村生活は自分の国の農村地域の約30%で行われていると話していた。近代農業の問題点は投入熱量と排出熱量のバランスが取れないことであり、近代農業を進めれば自給自足体系は崩壊し、持続可能な生活が不可能となる。

生きもの調査に始まって、アジア的自然観、近代農業と持続可能な農村生活等の討論を展開するなかで、最後にブータンの女性が全体を代表して挨拶をした。その挨拶のなかで、現在、有名になったGNHと農業の話しをした。ブータンの人々は生きものだけでなく、山や森や川などの自分たちの周りにあるもの総てを大切にする。その理由は、それぞれが総て「何か」を持っているからだと言った。その「何か」とはなんだという議論になり、私はその何かとは”spirit”ではないかという質問をした。ブータンの女性はもちろんのこと研修生全員が頷いた。Spiritとは日本語で「精神」と訳すと分からないが「霊魂」と訳すのが正しいと思う。アジア的自然観で表現すると「山川草木悉皆成仏」という言葉が一番ぴったりしているようだ。

これからのアジアの進むべき農業は、西欧的自然観の近代農業や生物多様性だけではなく、アジア的自然観に基づく総ての霊魂を大切にすることではないかというのが討論の結論となった。以前、読んだ本にアジアの農家の住まいには必ず「稲わら」が掛けてあり、それは「稲魂」と言われていると書いてあった。西欧的自然観によって近代文明は発達してきたが、その行き過ぎた部分が現在、表面化しており、その修正機能をアジア的自然観が果たす時代が来ている。