アジアと近代農業

アジア農業協同組合振興機関(IDACA)で講義をした。研修員は13名で、ブータンカンボジア、インド、ラオスモルディブミャンマー、ネパール、ベトナムから来ていた。午前中は講義で午後から意見交換というスタイルをとった。講義では私の仕事の経験を話した。
トレーサビリティについては、全農安心システムを企画した当時の社会的背景と狙いとその効果を話した。日本における戦後の食生活の変化を話すなかで、国が担保する食の安全だけでは対処できない問題が発生し、その対応策として安心システムを開発した経過を説明した。特に当時は0-157やカドミウム残留農薬等の食品危害問題が発生していた事と、今後発生が予想されたBSEと既に日本に輸入され始めていた遺伝子組み換え農産物への対応策としてシステム設計をしたことを話した。しかし、それぞれのメンバーの国は日本の食の歴史とは異なり、食生活のステージが異なるので、トレーサビリティに対する社会的な必要性は感じていないようだった。それは「安全」と「安心」の違いを説明した時に分かった。

そこで食の安全の切り口で有機農産物の話しに転換した。有機農産物がなかなか日本で普及しない理由として価格問題をあげた。有機農産物は、その収量と投下労働の関係性から、通常の農産物よりも高価格で販売しなければ採算が取れないので、日本では有機農業が普及しない。食の安全にこだわる可処分所得の高い消費者だけを対象にした食品マーケットでは当然限界がある。しかし本質的な有機農業の問題はそこにはない。日本では有機農産物の価格差の問題を商品経済の仕組みの中だけで解決しようとしているからである。もう一度、原点に戻って考えてみたい。世界での有機農業の当初の取り組みは、食の安全というよりは地球環境問題に端を発しており、化学合成物質の使用の有無だけではなく、持続可能な農業を目指すところにあった。だから商品経済の仕組みの中だけで有機農産物を普及しようとしても限界があるのは当然のことである。

その解決策は地域政策の視点で有機農業をとらえ、地域の環境管理料金を国民の税金で支払う、直接支払という仕組みで可能となる。EUでは1992年のCAP改革政策によって有機農業が明確に位置づけされ、2014年以降の新たなCAP政策のなかでは更に農村振興政策の比重を高めることが決定している。その政策のなかでは環境に負荷を与えない有機農業が明確に位置づけられており、それはEUの納税者の意見を反映している。ちなみにCAP政策にはEU予算の40%が使われている。

このような話しをするなかで、近代農業に対する問題点と今後の取組について説明をした。参加メンバーの国々は将に近代農業への転換によって経済的発展を目指している。国内の飢えの問題に対処するとともに、輸出によって豊かな生活に転換するという強い意思が働いている。日本のような先進国は環境に配慮した農業を展開できるが、発展途上国ではそのようなことはできないというのが研修生の意見の大半であった。

そこで近代農業によって生産性が向上するという事実をもう一度、図によって点検してみることにした。日本でも近代農業への転換によって米の生産性は飛躍的に上昇した。玄米換算で4俵が8俵になり(本来はもっと取れる)生産性は向上したことになっている。しかし投下エネルギーで見た場合に本当に生産性は上がっているのか検証した。投入熱量のうち人間労働は間違いなく減少している。しかし人間と牛馬の代わりに農業機械が投入され、更にその機械を動かすためにエネルギーが必要となっている。肥料についても循環肥料から化学合成肥料に代わったが、その肥料を作るために多くの石油エネルギーが使われている。近代農業に転換する前の農業では投入熱量と排出熱量が均衡しており、将に持続可能な農業生産となっている。しかし近代農業では投入熱量が排出熱量を大きく上回り、更に石油には埋蔵量に限界があり、とても持続可能な農業生産とは言えない。現在、議論されている再生可能エネルギー問題と同質の問題である。

更に、FAO(国連食料農業機関)が東南アジアで進めている生物多様性を活用した農業と食生活の紹介をした。GNPにカウントされない地域内食料の自給を崩壊させることが本当に国民の幸せにつながるのかどうかという問題提議をした。このような議論のなかで研修生の結論は、現在の形の近代農業への転換は問題を有しているが、従来の農業や生活スタイルとのバランスを取りながら近代化を進めるということになった。