ブータンと経済成長

 先日、群馬で開催されたブータン・デーに行ってきた。ブータン大学の学長と講師と学生が発表した。学生の発表の内容が興味深かった。それはブータンにおける耕作放棄地問題と都市への人口移動問題であった。一般的にはブータンでは国民総幸福量GNHの話しが先行し、ブータン国内で何が問題になっている事柄が顕在化していない。しかし今回の発表でブータンの農村情勢は将に日本の昭和30年代の高度成長期と同様の問題を抱えていることが分かった。都市と農村の経済格差や労働市場の原因から人口移動が始まり、その結果、農村労働力が不足して耕作放棄地が増加しているという。日本と少し異なる部分は人口移動が家族単位でなされる点である。ブータンでは日本のような金の卵の若年労働力の移動ではなく家族単位での移動なので、農村部での廃屋が目立つそうだ。

 ブータンだけではないが発展途上国における経済成長と農業農村問題は歴史的総括がされていない。自給自足の農村ではGDPにカウントされる経済的取引が無く、GDPとしては計上されない。経済成長によって自給自足が崩壊すると農村部でも食料供給の必要性が生ずる。更に、農業生産も商品作物が中心になるので不足する食料供給の必要性は高まり、それがGDPに反映される。将にアダムスミスの国富論に書かれている分業の世界が創出される。分業化が進めば進むほど、自分の仕事が社会とどのような関係になっているのかが分からなくなり、ストレスが貯まる原因となる。経済発展とは人間に物理的幸せはもたらすかもしれないが、精神的ストレスは増大させるだけではないか。ブータンのGNHという問いかけは将にGDPという尺度に対する挑戦ではないかと思っている。日本人は直ぐにGNHの手法を真似たがるが、もう少し本質を見なければならない。

 ブータンが仏教国であることもGNHを考えるさいに忘れてはならない。最後の質疑応答の時に会場からGNHとは何かという質問に学長はこう答えていた、日本人が20万円の収入があった場合に15万円は自分で使い、5万円を他人のために使うことがGNHだという説明をしていた。将に仏教の教えである「自他の利」ではないだろうか。この5万円を単なる「寄付」という考えで見ると、ブータンのGNHは見えてこない。
更にIDACAに来ていたブータンの研修生の話しを紹介したい。別のブログでも書いているが、講義のなかで農業の近代化と環境問題についてディスカッションをした。発展途上国が経済発展を望み、輸出品目の一つとして米を増産するために基盤整備を始め農業の近代化を図ることを否定できない。先進国が環境問題を指摘するのは良いが、発展途上国の経済発展を阻害することは許されない。地球温暖化の国際会議でのCO2規制目標で関係国の調整が図れない最大の課題である。私は講義のなかで田んぼの生きもの調査の話しした。この調査は自然保護のモニタリング調査では無い。田んぼが単なるお米という商品を生産するだけでなく、多様な生きものも育んでいることを農家に知ってもらうために実施している。更に地域の住民や子どもたち、更に消費者にも参加してもらい、田んぼの生きものの命を認識してもらう活動が生きもの調査なのだ。そして生きものを畦から眺めるのではなく、田んぼの中に入って五感で感じてもらうことが大切。そうすれば誰もがそこに「魂」の存在を感じるはずた。このような話しをしているなかで、ブータンの研修生が「講師の話しは良く分かる。ブータンでは田んぼだけでなく、回りの山や森や様々なものに霊魂がある。」という発言をした。将にブータンのGNHとは霊魂を感じることにあるという発言に、周りの研修生も宗教を問わず頷いていた。生きもの調査とはspirits を確認する作業だということを理解してくれた。

 研修の締めくくりとして、経済発展と環境問題はall or nothingで議論するのではなく、その調和をどのように取るのかが大切なのだ。その調和バランスをとるために生きもの調査があるので、経済発展と地域環境の調和点を地域の皆で確認し、地域の発展の方向性と速度を確認して欲しい。これはそこに住んでいる人たちが行う自分たちのための活動である。