絆と集団生活

 2011年の世相を表す昨年の漢字に「絆」が選ばれた。東日本大震災や台風12号など相次いだ災害で再認識された家族や仲間、地域とのつながりの大切さを多くの人たちが感じたからであろう。「絆」という漢字は犬や馬などの動物を繋ぎとめておく綱のことであり、家族や友人などと人と人を離れ難くしている結びつきだと解説されている。ここで解説されている「人と人を離れ難くしている結びつき」とは一体何か。家族は血の結びつきであり、仲間や友人はスポーツや学校等の結びつきであるが、地域の結びつきとは何か考えてみたい。

 今回のような災害の時には「遠い親戚より近くの他人」に頼らざるを得ない。しかし「近くの他人」を結びつける「絆」はどのようにしたらできるのか。現在、都市部に住んでいる殆どの人たちが一番悩んでいることではないだろうか。東日本大震災の被災者の多くは地方都市や漁村農村部の集落に住んでいた人たちで、お互いに顔見知りなので近くの他人同志が助け合いながら避難生活を続けている。避難所から仮設住宅に移動する際に一番問題だったのは、抽選によって同じ集落の人たちが別々の避難所に行かなければならなかったことだ。それくらい集落の結びつきには強いものがある。そこで集落の結びつきとはどのような歴史的経過のなかで形作られてきたのか考えてみよう。

 集落を作る以前、人間は集団生活をしていた。集団生活とは集団で狩りをする目的の他に外敵から身を守るためのものであり、外敵とは人間を襲う動物であり、時には他の人間集団であることもあった。その後、集団は狩猟採取生活を中心とした移動集団と栽培採取生活を中心とした定住集団に分かれていった。移動集団は厳しい冷涼な自然環境のなかで生活するためには脂肪を摂取しなければならず、乳がとれる家畜とともに移動する生活を選択した。集団の単位も移動する家畜によって制限され、個々の集団がそれぞれの社会規範を創造した。定住集団は温暖なアジアモンスーン気候のなかで灌漑稲作をする生活を選択した。集団の単位は灌漑をするために広域となり、灌漑施設を管理する集団が社会規範を創造した。

 この移動と定住の違いが、個人規範を優先する畑作牧畜文明と集団規範を中心とする稲作漁労文明の二つを生んだ。二つの集団に共通することは外敵から身を守ることであるが、自然災害から身を守ることについては異なっていた。定住集団においては自然災害から身を守ることは必要不可欠であったが、移動集団においては移動という選択枝があった。この違いは集団が集落を形成する過程において、優先する規範の違いとなった。すなわち定住する集落において、自然災害から集落全体を守ることが集団の基本とならざるを得なかった。更に稲作漁労を中心とする集落の生活は自然災害から共同で身を守ることはもとより、集団による共同作業や水利や入会地等の共有の概念があって初めて成立するものであった。移動集団は当初、定住生活を送っていなかったがその後、殆どの移動集団が畑作牧畜を中心とする定住生活に入った。しかし自然災害から集落全体を守ることより個々の生活を守ることに基本が置かれ、それがキリスト教の普及とあわせて集落のなかでは契約の概念が主流となった。

このような歴史的経過が西欧とアジアの「集落の結びつきの違い」を生んだ。