エンゼルズ・シェア

先日、新聞にこの言葉の解説が掲載されていた。日本語では「天使の分け前」とか「天使の取り分」というそうだ。ウィスキーなどを長い期間、樽の中で熟成させていると、どうしても少しずつ蒸発していく。この減った分が「天使の分け前」なのだ。英国の人情コメディ映画「天使の分け前」では、天使の分け前とは優しさであると描いているそうだ。不良青年の主人公が自分を助けてくれた女性に尋ねる。「何故、親切にするのかい」すると「私も昔、誰かに親切にしてもらったことがあるから」と女性は答えたそうだ。
私はこの記事を読んでいて自分の地域活動についての話しを思い出した。私は平成4年に現在の日野市に引っ越してきてからずっと地域活動を続けている。地域活動を始めた理由について自分では義理と人情の世界だと思っていた。つまり引っ越しのきっかけとなった地域の人たちから、地域活動つまり自治会活動を手伝って欲しいという要望があったのだ。引っ越す前に住んでいたのは山の手の世田谷であり、地域活動とは殆ど縁のない地域であった。もしかしたら世田谷のその地域の雰囲気が私の気性に合わなかったのかもしれない。何故ならは、私の人格形成時期は下町の上野であり、町内会ではどの家も商売をしているような地域であった。その結果、町内会活動は暇な店の親父が順番に面倒をみていたのである。そんな雰囲気のなかで育った私に山の手の雰囲気は合わなかったのかもしれない。
引っ越しを機会に地域の自治会活動を17年、その後はずっと広域の活動を続けているが、最近では他の地域から私の活動について様々な質問を受けるようになった。それはあなたの地域活動の原動力は何ですかとか、後継者はどうするのですかという質問であった。そこで私は自分の地域活動について冷静に分析をしてみた。すると答えは「天使の分け前」であることに気がついた。つまり私は子供時代に町内会のおじさんやおばさん達に面倒を見てもらっていたのである。ラジオ体操は文房具屋の親父、海水浴は床屋の親父、芋掘りはどこどこの親父というように、町内会のイベントはそれぞれ町内会のおじさんやおばさんが順番に面倒を見ていたのである。あまり自分の親のことは思い出さない。コメディ映画の女性の答えと同じように「私も昔、だけかに親切にしてもらったことがあるから」というエンジェルズ・シェアの心が私に地域活動をさせていることに気がついた。更に地域活動に後継者の問題は存在せず、私たちの地域活動が地域の子どもたちのDNAに刻み込まれればそれで良いという結論になった。私が上野で刻み込まれたのと同じように。
私たちはホタル鑑賞会、ソーメン流し大会、ごみゼロ収穫祭、餅つき大会の主要イベントの他に炊き出し食事会や市民協働マルシェなどを子どもたちと一緒にしている。参加人数は年間で延べ2000人になり、そのうちの半数以上が子どもたちだ。その子どもたちが将来、大人になった時に私たちの活動の姿を思い出し、自分たちの地域の子どもたちに同じような思いさせてあげようと思い、地域活動をしてくれればそれで良いのだ。その活動の場所はそれぞれの人生のなかで決まってくる。私もあと何年地域活動ができるかどうか分からないが、おじさん天使として子どもたちに分け前を与え続けていきたい。