失われた17年グリーンレート

 TPP参加問題を議論する時に、為替問題を抜きには語れない。何故ならば、関税と為替は表裏一体の関係にあり、大規模化を進めて国際競争力をつけたところで為替が円高に大きく振れた場合に、その努力は半減してしまうからである。実際に北海道の酪農家がEC農業に追いつく目標で努力し、昭和60年代にEC並みに到達したと思った途端、当時の為替レートの激変(240円⇒140円)により生産意欲が減退した事例を思い起こして欲しい。
 今回のTPP参加とは環太平洋の経済圏というなかでの貿易自由化交渉であり、例外なき関税撤廃を前提に議論がされているが、環太平洋経済圏の中での為替問題の議論が欠落していることは大きな問題である。そこでガットウルグァイラウンド交渉の時に当時のECがグリーンレートという独自のEC域内為替政策を実施していたことをここで紹介したい。
 グリーンレートとはECの共通農業政策として実施されていた制度で、ECの共通農業政策を遂行する手法として創造された。一般の為替レートからEC域内の農産物貿易の為替レートを独立させ、為替変動によるリスク負担をEC域内の農家に転嫁させないで農業経営の安定を図ることを目的としていた。基本的な考え方は、EC域内の農家はその立地条件のもとで最善の経営をしているものとみなし、地域別の立地条件を勘案したなかでの独自の為替レートを設定する制度である。当時のECではEC予算の多くを負担している西ドイツが、西ドイツマルクの為替レートの影響で不利益を受ける実態があり、西ドイツ農民からは強い不満が表明されていた。特に西ドイツとフランスの対立が激しく、その解決方法として独自の域内為替政策が実施された。
 フランスと西ドイツのジャガイモ生産農家の当時の実態は以下の通り。
フランス東部のジャガイモ生産農家の平均作付け面積は40haであり、平均収量は1000kg/10aであった。平均Kg単価が1FF(フランスフラン)なのでフランス東部ジャガイモ生産農家の平均農業所得は400,000FFとなる。
一方、西ドイツ北部のジャガイモ生産農家の平均作付け面積は20haであり、平均収量は800kg/10aであった。平均Kg単価が0,40DM(西ドイツマルク)なので西ドイツ北部ジャガイモ生産農家の平均農業所得は64,000DMとなる。
この実態を当時の一般為替レートである1DM=3,20FFを用いて比較すると、フランス東部のジャガイモkg原価の1,00FFに対して、西ドイツ北部のジャガイモkg原価は1,28FFとなる。これでは西ドイツ北部のジャガイモ生産農家はフランス東部のジャガイモ生産農家と同じ努力をしているにもかかわらず、EC域内の価格競争力を失い農業経営は苦境に追い込まれ、EC共通農業政策は破綻してしまう。
 そこでEC共通農業政策が破綻しないようにグリーンレートを設定すると以下のようになる。
一般為替レートは1DM=3,20FFであるが1DM=2,50FFというグリーンレートを設定して比較すると、フランス東部のジャガイモkg原価の1,00FFに対して、西ドイツ北部のジャガイモkg原価も1,00FFとなる。西ドイツ北部のジャガイモ生産農家はフランス東部のジャガイモ生産農家と対等の立場で生産に従事することができ、ECの共通農業政策は破綻を免れた。
 その他、グリーンレートの仕組みとしてはレートは不平等が生じないように毎年設定され、EC域内の国別農業政策における所得補償政策等はグリーンレート設定時に加算されていた。ガットウルグァイラウンド交渉の最大の争点であった輸出補助金についてはEC域内では設定していなかったことは言うまでも無い。
 このようにグリーンレートの根底には、「EC域内の農業者の労働価値は為替レートによって変動せず、フランスと西ドイツの農家の流す汗の価値は同じである」という哲学が流れている。この政策がガットウルグァイラウンド交渉の際のCAP改革につながり、更にEUという経済圏統合の原動力となり、最終的には共通通貨ユーロが実現したのである。TPP参加問題についても目先の関税撤廃の議論だけでなく、アメリカのドル安政策の方向性と環太平洋という経済圏構想の実現性も合わせて議論をしなければならないことをグリーンレートは教えている。