都知事選と市民活動

先般行われた都知事選で細川さんが敗れた。原因について様々言われているが、私は小泉さんが脱原発の取り組み方を間違えた結果ではないかと思っている。小泉さんはドイツに行って脱原発市民運動とその運動がドイツの政策決定に大きな影響を与えたことを学び、市民活動の大切さを認識したと思っていた。それはドイツから帰国した当時から政治活動とは一線を画し、市民活動を支援するような発言からも感じ取れた。しかし脱原発への安倍首相の説得が失敗に終わると都知事選に細川さんを担ぎ出し、あたかも「細川さんが都知事になれば国が脱原発政策に舵取りを変更する」というシナリオを描いた。
それは小泉さんが市民活動にシフトして脱原発を進めるという私の思い込みとは全く異なる展開であった。これからの日本は政治が国を変えるのではなく、市民が国を変えるという先進国の潮流に沿ったものではなかった。細川さんは政治活動から一度は引退をし、東日本大震災の復興支援活動をするなかで脱原発を市民レベルで唱えていた。そういう意味では 小泉さんと同様、政治活動から市民活動へ転換したはずの人であった。このように市民活動へ意識転換をしたはずの2人が「脱原発」というスローガンを掲げて都知事選という政治の世界に復帰したことに違和感を覚えた人間はかなりの数がいたと思う。所詮、小泉さんも細川さんも政治から引退したとはいえ政治という幻影から逃れられなかったのである。
小泉さんはドイツのシェーナウに行って、市民活動が国を動かして脱原発政策に転換したことを学んだはずである。しかし学んだのは表面的なことであり、本質は学びきれなかったのであろう。
脱原発というスローガンを掲げた一点突破の選挙手法が通用しなかったというのが、一般的なマスコミの評論である。しかしマスコミも本質を理解していない。選挙で訴えなければならなかった事は、「各地域で脱原発に取り組んでいる市民活動を支援する」というスローガンだったのだ。そうすれば例え都知事選で敗れたとしても、全国でエネルギー転換の具体的活動している仲間を勇気づけることができた。シェーナウの市民も最初は様々な抵抗にあったが、仲間を増やすことで克服してきた。脱原発もスローガンを掲げて反対運動だけをしていても変わらない。それは現在の社会構造が、選挙という民主的な手法により選ばれた人間が国の方針を決定する社会ではなく、選挙をしない大会社の社長が国の方針の決定に大きな影響力を持っている社会なのである。世界は選挙で選ばれた政治家が動かしているのではなく、グローバル企業のトップが企業経営の論理で世界を動かしている。このことはローマクラブの40年の総括にも書かれている。
脱原発や遺伝子組換等の問題は選挙で選ばれた政治家では決断できない。シェーナウのように市民が地域から自分たちの活動を実現しながら仲間を増やしていくしか方法はない。我が国では市民活動というと直ぐに反対運動という形をイメージするが、日本でも全国各地で様々な市民による取り組みがされている。このような小さな地域での取り組みはマスコミでは取り上げないし、政治家も票にならないので参加しない。更に、自分たちが普段から地域活動に参加していないから大切さの実感が湧かない。小泉さんも細川さんも政治が変われば国が変わるという民主主義の図式を信じているようだが、自分で市民活動をすることをお勧めする。小泉さんは横須賀でエンタープライズの市民活動を知っているし、細川さんは熊本でチッソ患者認定の市民活動を知っている。まずは自分の住んでいる地域の市民活動に自ら参加して、活動の仲間の輪を広げることから始めて下さい。政治活動という「一鎌起こし」の幻影は捨て、地域の一つ一つの小さな取り組みの活動を自分が死ぬまで続けることが今一番大切なのではないでしょうか。