自主防災と都市農地

先日、私の地域活動の一つである落川交流センター運営委員会で、センター周辺の農地と用水を巡る企画を実施した。この企画は私のもう一つの地域活動である、市民による都市農業研究会で検討してきた体験農園を私たちの地域で実現することを目的としている。更に体験農園を地域で実現するだけでなく、地域の防災活動と連携する「自治会防災農園」という新しい体験農園を交流センター周辺の農地で実現することも目的としている。このような活動に至った経過を少し説明する。

私が活動している落川交流センターは、平成16年に開設した日野市の交流センターの一つであるが、以前は千代田区の小学校の林間学校の施設として利用されていた。その後、林間学校が閉鎖されてからは千代田区の遺跡保管倉庫として利用されていた。敷地面積は1haほどあり、鬱蒼とした森が浅川流域にあって幽霊屋敷のような様相を呈していた。地域住民からは敷地の市民への開放を望む声が20年以上前から出始め、平成14年から本格的な市民活動が展開されてきた。この市民活動が母体となって交流センター運営委員会が設立され、センターの自主運営が開始された。この運営委員会は周辺の10自治会と周辺で活動している市民団体、子ども会、商店会、消防団、隣接している療護園などが構成団体となっている。世帯数は約3000世帯、市からの補助金も無く自主経営を基本とし、地域の市民活動団体と連携した広域連合自治会活動という新しいタイプの市民活動を行っている。

これまで運営委員会は地域の人的交流を促進するために、様々なイベントを企画し実践してきた。お正月餅つき大会、ホタル鑑賞会、夏休み流しソーメン大会、ごみゼロ収穫祭などで、参加者は毎回150人前後。ホタル鑑賞会には600人以上の参加者がある。このように人的交流イベントを実施する中で、交流センターでは釜戸セットなどのイベント用備品を整備してきた。その備品を整備する過程で、これらの備品と調理や炊飯の活動は地域の自主的な防災活動につながるのではないかという意見が3.11の大震災以降、多く出てきた。それは災害に対処するためには、防災指定避難場所に避難して救援を待つだけでは充分でないという認識が広ってきたからだ。国が東南海大地震の対応として、本格的な救助が来るまでには2週間程度はかかるという報道も認識に拍車をかけた。

このような情勢認識を受け、運営委員会では今年度の活動方針として、これまでの活動目的を地域交流だけではなく地域防災の視点も導入することにした。災害直後2週間程度は自分の手で自分の家族や隣人を守らなければならないが、そのためには何をしたら良いのか。一つはそれぞれの自治会で行っている防災訓練。これは釜石小学校の奇跡でも分かるように、普段からの訓練が災害時に大切であることを教えてくれる。しかし消火活動や避難行動などはあくまでも初動対策としの防災訓練。電気、ガス、水道という生活インフラが崩壊した時に、避難場所に退避して何をするのかという訓練ではない。

そこで初動対策実施後、本格的救助が開始されるまでの間の「中間的防災訓練」が必要となる。その中間的防災訓練の一つが交流センターで実施しているイベント用の炊事や調理の活動ではないか。交流センターのイベントでは釜戸セットで煮炊きをしているので電気とガスがストップしても大丈夫。燃料の薪についても交流センター敷地内の剪定枝を利用して備蓄を進めている。交流センターにはホタルの里を開設する時に整備した井戸もあり、いつでも使用可能な状態(飲料向け試験はしていない)になっている。私たちの地域の防災指定避難場所は近くの小学校であるが、中間的防災訓練は実施していない。そこで交流センターが指定避難場所の小学校への炊き出し基地として機能すれば、中間的防災機能が付加され、更なる防災対策になると確信している。

今年度、新たに企画した「農地と用水巡り」は、交流センター内の炊き出し訓練活動だけでは中間的防災訓練が完結しないことを知ってもらうことが目的。それは炊き出しをする材料が無ければいくら訓練をしても成果は出ないからだ。炊き出し材料は近隣スーパー等の店頭や在庫では多分数日で無くなってしまう可能性が強い。そこで私たちの地域の特徴を活かした「農地で備蓄」という企画をしてみた。この企画は平成の大冷害の時の米不足を二度と経験しないために、通常は田んぼで鶏用の米を栽培するが緊急時にはそれを人用に転用する試み。この取組が契機となって現在の飼料米に至っている。つまり交流センター周辺の農地で、平時は通常の栽培をするが、緊急時には炊き出し用材料に優先転用してもらう企画である。この方式は既にスイスで実施されている防災施策であり、災害時に作物転換も含めて農地活用がされ、スイス人が生き残るためのエネルギーを確保すること等が法律で定められている。今回の企画のもう一つの特徴は自治会住民参加による多品目栽培にある。平時の農家栽培では単一品目に偏る傾向があるが、自治会住民が参加する体験農園の形式をとると多品目通年栽培が可能となる。更に体験農園参加自治会住民は何処の農地で何を栽培しているかの情報を知っており、炊き出しメニューが豊富になる。私が「自治会防災農園」と呼ぶ理由はここにある。

このように農地と用水巡りを実施する背景と目的を文章で書いて、あるべき姿を自治会で回覧しても多分誰も関心を示さない。私たちは学者ではなく自分で住む地域を真剣に考える住民であり、地域で実現することが最終目標である。そこで理論は別にして、交流センターのイベントとして農地用水巡りを繰り返し実施してゆけば、住民は必ず周辺の農地に関心を持つようになる。それは交流から防災へと地域住民の意識が転換した歴史が証明している。更に今回、巡回する農地は交流センターの構成団体である自治会の会員が耕している。これまでも交流センターでのイベントに協力してくれている農地もある。この取組によって、自治会員である農家は自分の農地を自治会活動の地域防災の視点から見直し、災害時協力農地として貢献をする意味を理解する。これは究極の都市農地対策ではないかと思っている。相続税や固定資産税の問題を農家自治会員だけに任せず、地域全体の問題として解決する方向性を示している。

更に、交流センターの周辺には自治会員の農地だけでなく、地域の共同財産として用水が残っている。農地と用水を巡ることによって、農地の意味だけでなく地域に用水が残っていることの意味も分かるようになる。そして田んぼや用水の生きもの調査を通じて、地域にいる生きものの命が地域の子供や孫の命とつながっていることも分かるようになる。今後の交流センターの活動は地域の人間の交流だけでなく、地域の農地や用水が育んでいる生きものたちとの交流にその活動の輪を広げてゆく予定である。

今後は今回のような農地・用水巡りを継続してゆくとともに、落川交流センター周辺地域の歴史を勉強する会も開催する予定。自分たちの住んでいる場所が昔は何だったのか。程久保川が整備される以前の浅川の氾濫の状況はどのようであったか。地域の周辺に用水が流れているが、何処から取水して、何処へ流れているのか。何処の田んぼが用水を利用しているのか。田んぼや用水にはどんな生きものが棲息しているのか。昔の子供はどんな遊びをしていたのか。自分の住んでいる地域の歴史を知ることが、地域防災上も非常に大切なことを昨今の災害の事例が教えている。更に私たちの住んでいる地域の「神様」はどこに祀られていて、お祭りはどのように行われているのか。このように盛りだくさんの企画を含んだ「落川交流センター地域勉強会」を順次開催して予定でいる。これらの活動のなかから地域防災を含め「持続可能な地域社会」が形作られると思っている。落川交流センター運営委員会はそのお手伝いをしている。