Hokkaidoというカボチャ

先日、若い農業者の集まりに参加して面白い体験をした。これから就農する女性と話をしているうちに、彼女が南ドイツで有機農業の研修をしていた話になり、私は20数年前に欧州で契約栽培をしていた話をした。私は当時の西ドイツに駐在し、日本の農産物を輸入する業務を担当していた。もちろん当時であるから日本から欧州への農産物の輸出は殆ど無かった。しかし西ドイツのケルンやフランスのパリで行われた食品展示会に日本の農産物を出品して、希少価値としての人気が出始めた頃であった。私はその市場を開拓するために現地に送り込まれ、全く白紙の状態からビジネスがスタートした。
当時の日本から欧州への輸送には赤道を通らなければならず、生鮮品は賞品劣化が激しかった。しかしその頃から冷蔵のコンテナが開発され、日本から欧州への輸出の道が開かれた。開かれたといっても1ヶ月以上輸送期間を要し、梨やリンゴなどの果実に限定されていた。当然、生鮮野菜はビジネス対象外である。
当時の欧州は防疫上の問題から日本への農産物の輸出ができない状況であった。それは地中海ミバエの問題であり、欧州からの輸出港であるロッテルダムに日本の貿易検査官が来ていたが、なかなか問題をクリアーで来なかった。オランダの農産物輸出を担当する人間がその問題解決を相談するために、私の事務所を尋ねてきた。私は当時日本から日本語ワープロを持参していたので、彼が主張することを丁寧な日本語で打ち出し、その結果、防疫問題が解決した。その後、彼と親しくなり、私が欧州に日本型食生活を広め、日本という国に対する理解を促進したいという希望を伝えた。すると彼はすぐにオランダの篤農家を私に紹介してくれ、日本種野菜の契約栽培が可能となった。可能になったとはいえ、総てを1人で開発しなければならない。まず日本種野菜の種はアムステルダムにあったタキイ種苗を説得して種を輸入し、栽培指導は日本から栽培書籍を取り寄せ、それを翻訳しながら農家に説明した。一番苦労したのが出来上がった商品の集配業務であった。現在のように宅急便などは存在しないので、農家の近隣の市場に出向き、そこで配送をしてくれる仲買人を探しださなければならなかった。オランダ各地で生産された日本種野菜は西ドイツのデュッセルドルフに集め、そこからロンドンやパリなどの欧州の主要都市へ配送した。その配送業務は魚介類の配送をしていた航空会社の関連会社が担当した。
このような苦労をしながらオランダの農家と野菜の栽培に取り組んでいた。具体的には小型ナス、ニラ、大葉、ゴボウ、トマト、キュウリ、春菊、カボチャなどであった。果菜類の栽培で苦労した点は、欧州の野菜は重量取引なのでナスでもキュウリでもそのまま大きく栽培してしまうこと。彼らにしてみれば重量取引が基本なので当然のことであるが、こちらとしては個数取引を希望していた。欧州の市場にある大型のものではなく、小型のナスやキュウリをつくることが目的なのだ。理解してもらうのにかなり時間を要した。葉菜類の栽培で苦労した点は「太陽の力」であった。オランダの緯度は樺太と同じくらいであり、商品の外観はできるが、ナスは色落ちが早く、ニラや大葉や春菊は香りが出ない。太陽の力の凄さを感じた。そのようななかでカボチャはうまくいったほうであった。欧州のカボチャは総てスープ原料となる大型カボチャであり、日本のような小型のカボチャは無かった。そこでエビスカボチャの栽培に取り組み、収穫後は営業倉庫を借りて販売をしていたが、総ての販売は出来ずロスになってしまった。
このように様々な苦労を重ねたが、ビジネスとしてはあまり収益が上がらず、私の後継者はいなかった。日本に帰国後もオランダの担当者は日本市場開拓のために私のところを訪ね、私は様々アドバイスをした。日本にパプリカやチコリのマーケットができたのは彼の努力と私のアドバイスの結果である。その後、私も何度か欧州を訪問したが、一度ミュンヘン近郊のオーガニック店舗でHokkaidoという名前でエビスカボチャが販売されているのを発見し、非常に嬉しかった記憶がある。しかしその後、約20年間、欧州産エビスカボチャとの出会いは無かった。
その20年ぶりの出会いが先日、彼女を通して実現したのである。彼女は農業研修をしていたので、何故、欧州にエビスカボチャがあるのか、その原因を考えていたそうだ。まさかその原因者が自分の目の前にいたことに彼女は大感激をしたのだ。私も20年ぶりの欧州産エビスカボチャの便りを彼女から聞いて非常に喜び、お酒がすすんでしまった。昔の欧州の彼女に会ったような気分であった。(嘘か本当かはご想像にお任せします)
最近では和食のユネスコ登録だとか農産物の海外輸出などが話題にのぼるが、私の若い時代の思いはビジネスが目的では無かった。私が欧州に滞在して欧州の料理を食べ、その背景となる農産物ができる気候と風土が分かり、欧州人の発想法と歴史が理解できたように、日本人が普段から何を食べて何を考えているのか。その背景となる日本の気候と風土を理解してもらうために、日本種野菜つくりを頑張ってきたのだ。
更に、契約栽培をしてきた欧州の農家と付き合って分かったこと。それは農家に国境は無いということだ。農産物を海外に輸出して相手国の農家を困らせようと思っている農家は世界中どこにもいない。グローバリゼーションや市場原理主義というベールに覆われているが、覆われている先の農家を見つめる眼差しを持たなければならない。