韜光養晦

私はこの言葉が現在の中国の外交戦略の底辺に流れているということを最近読んだ本で知った。著者は石平で「なぜ中国は覇権の妄想をやめられないのか」というタイトルの本であった。この難しい漢字は「とうこうようかい」と読み、ウィキペデイアでは次のように紹介されている。
「韜光養晦」という言葉は、中国語の中でありふれた単語ではなく、中国の対外政策を形容するために用いられる以前は、多くの人に聞き慣れないものだった。辞書の中には「韜光」の本来の意味は名声や才覚を覆い隠すこと、「養晦」の本来の意味は隠居することと記されているが、一般には、爪を隠し、才能を覆い隠し、時期を待つ戦術を形容するために用いられてきた。韜光養晦とは、中華人民共和国の国際社会に対する態度を示す言葉であり、一般には訒小平の演説が根拠となっているとされる言葉である。

著者曰く、習近平アジア外交が将にこの韜光養晦と決別し、アヘン戦争以前の中華秩序を回復しようとしている。それが南沙諸島問題であり、尖閣列島問題等に明確に現れている。中国の歴代王朝は秦の始皇帝以降、歴代の皇帝は国内統一とともに領土を拡張し、周辺諸国朝貢させて冊封することによって中華秩序を維持してきた。それは漢人でない王朝においても同じであったが、アヘン戦争以降、その中華秩序は崩壊してしまった。更に日清戦争以降は中国に代わり日本がアジアの諸国に対して大東亜共栄圏という新秩序を打ち立てた。しかし日本の敗戦によりその新秩序は失われ、中国は共産党体制になったもののソ連の秩序に組み込まれてしまった。その後、ソ連の後退と平行してアメリカのアジア戦略が顕在化してニクソン毛沢東会談となり、中国は大きく舵を切った。毛沢東の後を受けた訒小平は中華秩序を再興するために自由経済を導入する政策を展開し、その状況のなかでこの「韜光養晦」という言葉が使われた。それまでは周辺国から何を言われても「隠忍自重」に徹し、経済発展を優先させて今や世界第2位の経済大国となった。習近平の登場は将に韜光養晦からの脱却を意味し、それは習近平の個人的な思いではなく、中国歴代王朝の中華秩序の復活を意味している。習近平漢の武帝と同じ歴史的役割を果たそうとしており、それが中華文明の有物史観なのである。

このように考えると日本の外交政策アメリカに付くか中国に付くかという二者択一の問題ではないことが分かる。安保法制の問題も中国を仮想敵国としているという説明ではなく、日本という国が生き残るためにはどのような外交政策をとらなければならないか国民的議論を巻き起こす必要がある問題である。この議論をするには戦前の大東亜戦争とは一体何か、東京裁判とは何だったのか、サンフランシスコ講和条約日米安全保障条約は何故セットだったのか等、戦後70年の国民的歴史総括をしないと問題解決の方向性は見えて来ない。特に日本が占領時代に生まれた団塊の世代は、その教育のなかで戦前の思想を否定されて育ってきたので、もう一度、小学校時代に戻って自分のアイデンティティを再構築しなければならない。私は30年以上、独学してきたが、この年になってやっと本来の日本人が理解できるようになった。偏差値教育の弊害を自覚して、死ぬまでの人生を有効に活かして欲しいと思っている。