原爆被害者への謝罪

伊勢志摩サミット後にオバマ大統領が広島を訪問するにあたり、アメリカ人の半数が原爆投下は正当であり原爆被害者に謝罪する必要はないと思っているという報道に対して日本人の殆どは違和感を持っている。しかしこの違和感の原因は何であるかについて解説している人はいない。
原爆投下の正当性を主張するアメリカ人は「パールハーバーを思い出せ」という合言葉を使っている。日本から売られた喧嘩を買い、その仕返しが原爆投下だという論理である。だからそこにはアメリカが謝罪をする理由が存在しない。日本人の殆どはその論理構成に対して何となく納得してしまい反論ができないでいる。反論のなかでは、原爆投下は非人道的であるとの主張はしているもののアメリカ人を納得させる論理構成にはなっていない。どうしてこうなっているかというと、日本人がアメリカ人の考え方の根底部分を理解していないからだ。
リメンバーパールハーバーの論理は「目には目を、歯に歯を」というハムラビ法典に由来する考え方であり、それはユダヤ教キリスト教イスラム教の宗教規範に影響を及ぼしてきた。しかし「目には目を、歯には歯を」の考え方は、そもそも、同害報復を要請するものではなく、無限な報復を禁じ同害程度までの報復に制限するという趣旨なのだ。ところが、ユダヤ教イスラム教では同害報復を要請するようになり、一方、キリスト教では「赦す」ということに重点を起き、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」という規範が聖書のローマ人への手紙のなかに示されている。アメリカという国は歴史で習ったようにメイフラワー号に乗ったビルグリムファーザーズが興した国であり、国民の半数近くがプロテスタントであり、カソリックも含めて国民の8割近くがキリスト教徒である。そのキリスト教では同害報復を認めていないのに、何故、同害報復を要請するパールハーバーの論理が正当性を持つのだろうか。アメリカに一撃を与えた日本を赦すことが出来れば、キリスト教徒としての罪の贖いも可能なはずなのだが。
更に同害報復という視点でとらえた場合、パールハーバー襲撃と原爆投下では無差別殺人という点で同害では無く、更に、広島の後に長崎まで原爆を投下することは過剰報復ではないのだろうか。日本の同害報復は仇討という形で行われるが、赤穂浪士も曽我兄弟も決して過剰報復ではない。
日本政府はオバマ大統領に謝罪を求めないと言っているが、それでは原爆被害者に対しても失礼なのではないだろうか。オバマが気にしているアメリカ国内のリメンバーパールハーバーを主張する国民に原爆問題の考え方に対して問題提議をするのが日本政府の仕事であり、オバマプラハ演説に対する日本としての行動なのではないだろうか。広島や長崎の原爆被害者もアメリカに謝罪を求めているのではなく、アメリカ人に自分の信仰の根底にあるものに気づいてもらい、ともに同害報復の無い世界を目指すことである。