個別所得補償政策に対する意見

所得補償政策は1993年に決着したガットウルグァイラウンドまで議論を遡らなければならない。大方の日本人はGURでは無理やり米の市場開放を迫られたという意識が強い。そこで議論されていたことが正確に日本人に伝わっていない事が今日の日本の悲劇の始まりとなっている。GURでは世界の農業保護政策の方法論が議論されていたのであり、米開放の議論はその一部分でしかない。課徴金に代表されるように域内価格政策によって農業保護と輸出促進をしていたECと補助金による農業保護と輸出促進をしていたアメリカ及びケアンズグループの対立の場がGURであった。そこでの決着点は価格政策から所得補償政策への転換であり、所得補償も内外価格差の補償対策だけでなく、条件不利地域対策と環境支払対策の3つで構成されている。日本でも同様の対策が構造改革と名の下にとられてきたが予算規模も少なく実効を挙げていない。その理由は、GUR以降の世界の農業保護政策の転換を日本国民が理解していないからである。農水省も1994年に新政策で本格実施を試みたが、自民党と農協のブロックに阻まれてしまった。この問題の解決には2つのことがポイントになる。一つはGUR以降の経過と世界の変化を国民が理解して議論できるような態勢をつくること。もう一つは議論を環境政策と一体化しながら進めること。何故ならば殆どの日本人は食の安全性と食糧安保の視点でしか農業をみていないからである。私はGURの当時、西ドイツに駐在をして市民感覚で欧州人のCAP改革の過程を見ており、環境の視点から農業を論ずることができるようになった。そして初めて税金を農業に投入することの意味を理解したのである。現在のままで所得補償の議論をしても殆どの日本国民は何故、農業に我々の税金を投入するのか理解できないままでいる。EUはガットという外圧を上手に利用してCAP改革を実施し、そのごの欧州経済の復興を果たし、今やユーロが世界の基軸通貨になろうとしている。お隣の韓国も金大中大統領の時に親環境農業政策に転換していることを日本人は知らない。もう一度、20年前に戻って原点から農業政策と環境政策の議論をして欲しいと思っている。