FAOの飢餓対策と生物多様性

韓国の昌原で開催されたラムサール会議には様々な国と機関が参加していたが、驚いたことは国連の食糧農業機構FAOが生物多様性を主張していることだった。FAOは世界の食料対策のために食料の生産性をあげることが最重要課題であるというのが一般的な認識だと思うが、実態は異なっていた。FAOの主要メンバーが我々が水田決議用に英語で編集した映画「田んぼ」を見て絶賛したのである。私が理由を聞いたら一人のメンバーがインターネットでFAOのホームページを見せ、その中のラオスでの取り組みの内容を画像で見せてくれた。そこには田んぼで育っている様々な魚や貝類をお米とともに食べている現地の人たちの姿があった。FAOの人は私に「これからの世界の食糧対策は田んぼの食糧としての多様性だ。田んぼは澱粉質のお米だけでなく蛋白質の魚も一緒に採れるからだ。」と説明してくれた。私たちの取り組みはコウノトリやトキの食料としての田んぼの生物多様性に取り組んでいたが、FAOは人間の食料としての田んぼの生物多様性に取り組んでいたのだ。日本でも近代農法導入以前は田んぼの様々な生きものを毎日の糧として食べていた。ラオスだけでなく、ついこの前までの日本も同じような食生活だったのだ。食糧安全保障が叫ばれている現在、田んぼの総合食料生産機能を忘れて減反政策を続けていることに疑問を感じないのだろうか。本当に食料不足になった時に人間はどのように行動するのであろうか。大岡正平の「野火」に書かれているような悲惨な状況の前にやるべきことがあるのではないだろうか。それは私たちの目の前の「田んぼ」をどのように活用するかではないのか。更に私たちは田んぼの生産性を「米」だけで計っていないだろうか。昔の田んぼは4俵しかお米がとれず、現在の近代農法では8俵とれるから生産性がせ高いと思っていないだろうか。お米が増えた分だけドジョウやタニシが減っている計算をしてみると大変な勘違いをしていることが分かる。FAOが主張している持続可能な飢餓対策とはこのことを言っているのだ。田んぼの生物多様性とはコウノトリやトキの食料生産機能のことだけを指しているのではなく、日本人としての持続可能な食生活は田んぼに依拠していることを忘れてはならない。FAOとのこのような出会いを契機として今年の生物多様性条約締約国会議COP10ではFAOと一緒になってサイドイベントができないかというところまで進んできている。将に田んぼは食糧から環境・生物多様性そして食料へとつながる人類の最高傑作なのだ。2000年も使用されている「世界遺産」はどこにもない。