TPP参加を考える

最近の新聞紙上によく登場するのがTPP参加問題だ。正式な名称は環太平洋戦略的経済連携協定で、日本が参加した場合の国内農業が受ける打撃と参加しない場合の経済界の損失が議論の中心となっている。議論の中には農村の多面的機能の損失の試算や経済成長による税収増で農業の所得補償は賄えないという議論もある。
これらの議論の展開や農業団体や国会議員の動きを見ていると1993年のガットウルグァイラウンド交渉と酷似していることに気が付く。「米を一粒たりとも入れない」というムシロ旗を立てて交渉した結果はどうなったのかを思い出して欲しい。関税化の対価としてミニマムアクセス米の受け入れを選択したが、その選択には米価下落というシナリオは無かった。しかし下がらないはずの米価が当時の24000円から今年は12000円に半減している。食用に回さないはずのミニマムアクセス米は40万トンから80万トンに倍増している。このような状況のなかで稲作農家の後継者は育たず、減反政策も先行きが見えない。戸別所得補償に展望を見出そうにも米価下落の後押しをしている始末だ。
このような状況になることを17年前に予測をして警告を発した人がいたのだろうか。日本にはいなかったが、EUと韓国にはいたのだ。EUは価格政策から直接支払政策に大転換をし、農産物価格が半減しても農業経営は直接支払で賄われている。韓国も1997年に大転換をした結果、FTA締結を積極的に展開し、日本の経済界が遅れをとる形になった。
このような歴史がこの17年間に起きているのに、日本での今回のTPP参加議論は17年前と同じ構図で行われている。農業団体は17年前と同じ反対戦略に固執し、経済界や国民を巻き込んだ議論展開をしていない。経済界は口では生物多様性と言いながら、多様性に一番影響を与えている農業という産業に対する提案をしない。国会議員は反対グループを結成するものの長期的戦略を描こうとしていない。17年前と同じく大多数の国民は正しい情報を与えられないままに議論の外に置かれている。
今、将に名古屋では生物多様性の重要な国際会議が開催され、地球と人類の運命を決するような状況になっている。誰もが現在の価値観と経済システムに不安を抱いているのに、誰も国の利益を超えたところで決着を図ろうとしない。今回のTPP参加の議論も農業問題であるとともに生物多様性の問題であるにも係わらず産業界の対立の構図から抜けられない。
TPP参加によって日本の耕作放棄水田が100万haになり、5668種の田んぼの生きものたちが棲家を失ってしまうという試算や仮説のなかで議論をしてみたらどうだろうか。TPP参加しても日本の水田や農地が保全される方策は何か。その財源はどのように確保できるのか。TPP参加によって活性化するであろう経済界からどのような支援が可能なのか。国民は安い輸入農産物と自分の周辺の命を育んでいる国産農産物を価格だけで比較するのか。
このように対立の構図での議論ではなく、どのようなことをすれば農業と経済と生きものが幸せになれるのか。ウィンウィンの議論をしましょう。