震災復興を考える

 震災復興については様々な意見が出されているが、農業と農村の復興について考え方を述べたい。農業に関しては「大規模化」「国際競争力」「法人化」「生産性の向上」等の言葉が並ぶ。これらの言葉は産業政策としての農業面で言われ続けていた。しかし被災者の農家は本当に震災復興の方向として望んでいるのだろうか。農業、特に稲作農家が震災前から言い続けていたことを想いだして欲しい。
 これまで40年以上、稲作農業を頑張ってきたが、今や息子に稲作農家を継がせる気持ちは全く無い。もはや息子に稲作農業の将来展望は語れないし、自分で切り開く気力も残っていない。よく世間から聞かれること。儲からないのに何故あなたは稲作を続けているのか。答えは簡単。そこに自分の村の暮らしがあるから。日本の殆どの稲作農家の会話を再現してみた。
 そこでもう一度、みんなで考えてみたい。今回、被災した稲作農家も震災前はこんな会話を交わしていた。その人たちが日本の稲作の将来を夢見て、国際競争力を確保するために大規模化を目指して生産法人を設立するだろうか。震災で総ての農業施設と農業機械を失ったなかで新規に設備投資をし、規模拡大のために土地改良事業の自己負担金を償還してでも、稲作経営をするのだろうか。私の知っている稲作農家にはいない。
 しかし震災復興の農業プランでは真剣に議論されて予算をつけようとしている。何かがおかしい。誰のための復興予算なのか考えなければならない。
更に稲作を取り巻く周辺の情勢で明るい材料は殆ど無い。TPPを始めとしてFTAにしてもWTOにしても米に関する関税は、時期や方法は別として総て下がる方向だ。ミニマムアクセス米は関税が下がれば減少する。しかし海外からの輸入米がMA米に代替して、加工に関して国産米が入り込む余地は無い。減反政策という言葉は無くなったが戸別所得補償とセットで生産計画は割り当てられる。財源不足のために戸別所得補償の相場下落の加算金は消えてしまい、今年は単年度予算なので子ども手当てと一緒で来年度に同様の予算が確保される補償はどこにも無い。農協の反対を押し切って米の先物相場がスタートするが、この政策が米相場の上昇を担保する保障はどこにも無い。唯一の希望の光は世界の異常気象とエネルギー需要の拡大の結果、食料が不足して国際穀物相場が上昇していることだ。
 こんな状況のなかで農業の震災復興プランが進められようとしている。国民の税金を使って。何人の稲作農家が参加するのだろうか。被災した農家はもう一度、自分の暮らしを取り戻したいと思っている。今まで、そこで米を作り続けていた自分の暮らしを。しかし現実は、その暮らしの基盤を奪い去り、今までと同じ暮らしは出来ない。机上のプランではいくらでも大規模化は可能だし生産性は向上して国際競争力を持った一大食料基地が東北にできる。しかし、そこには一人も稲作農家はいないし、バブル時代に造成した工業団地にペンペン草が生えている状況と同じではないか。そこには誰も責任をとる人がいない。
 もう一つ大切なことを忘れてはならない。それは殆どの息子が稲作を継がないし、親は継がせようとおもっていないことだ。稲作経営の将来展望が全くないなかで、息子に田んぼがあるから稲作農業を継ぎなさいという親はいない。日本の稲作に残された期間は10年〜15年と言われている。つまり現在の農地法等の農業に関する法律は農家による農地相続を前提に耕作者主義を基本としている。田んぼは農家が相続して農家が耕すことを前提に総てが組み立てられている。その結果、株式会社による農地取得に制限が加えられ、農地転用も農業委員会の許可がなければできない。しかし田んぼを耕す農家がいなくなれば田んぼは耕作放棄地となり、今や放棄地は40万haになろうとしている。数ヶ月前に世界農業遺産に登録された能登の農家がテレビの取材に応えていた。「世界農業遺産に能登が登録されたそうだが、この地域の棚田は後10年すると耕す者が誰もいなくなる。もうじき無くなるから遺産として登録するのか」これは皮肉ではなく真実なのだ。更に、この問題は能登だけでなく全国共通の大問題なのだ。
 これまでの耕作放棄地問題は中山間地を中心に広がってきたが、今回の震災でこの問題が被災地に広がろうとしている。将来展望のない稲作農家は震災以前は何とか耕作をしていたが、その耕作をする田んぼがなくなってしまった。地図上では水田として残っているが、もはや耕作不可能地になってしまった。机上の土地改良事業で復田はするが、大規模化した圃場で稲作経営をする稲作後継者はいるのか。法人化すればよいという意見がすぐに出てくるが、その場合に被災した稲作農家は何処に行くのか。田んぼの所有権は何処に行くのか。後継者の経営権は何処に行くのか。彼らが望んでいる村の暮らしはどうなるのか。本来であればここで田んぼの生きものはどこに行くのかを問いたいが、今はそれ以前の状況なのだ。
 今の震災復興プランは机上の産業復興プランでしかない。そこに形としての農業は復興するかもしれないが、そこに農家や農村の暮らしは復興しない。今、議論されている震災復興プランのなかには、復興した地域の暮らしがどうしても見えてこない。