米の放射能汚染

 ついに予想していた米の放射能汚染問題が表面化してしまった。野菜、牛乳、魚、お茶、牛肉、そして米である。最近のテレビ見ていて「何か変だな」と感じている。官房長官が「○○県の牛を出荷停止にしました」という言葉に違和感を覚える。官房長官の言い方は「国は国民の食の安全を守るために出荷停止を判断して指示を出している」という姿勢なのだ。国民の命と健康を守るのは国の責務であることは誰もが理解しているが、官房長官の言い方はあたかも加害者に対して指導をしているようではないか。
 10年前のBSE問題の時に国は全頭検査と危険部位の除去と個体識別をして食の安全を図った。結果としてうまくいかなかった経過は私のブログに書いてあるが、この時の利害関係の構図は生産者がBSEの原因者であって消費者が被害者であった。もちろん生産者が悪いわけではなく、この時も国がBSEの国内発生を予測しながら事前に対処策を講じなかったことが原因なのであるが。何はともあれ国は国民の食の安全に向けて迅速な対応をしたことは事実である。
 今回の放射能汚染問題における利害関係の構図はBSEと同じであろうか。国はBSEの時の対応と同じスタンスで対応している。官房長官の記者発表はそのように見える。もう一度、じっくり考えてみよう。今回の放射能汚染牛肉の原因者は生産者ではない。今回の原因者は東京電力と国であることは誰もが認識している。しかし国はあたかもBSEの時と同様なスタンスではないか。出荷停止についても原因者である国は生産者に「出荷を停止してください」とお願いする立場ではないか。東京電力も国と一緒になって出荷停止のお願いをするのが当然である。生産者は消費者と同じく「被害者」なのだ。本来であれば加害者である国は被害者である「生産者」と「消費者」に頭を下げてお願いするのが道理というものである。
 消費者はテレビの取材で「生産者には申し訳ないが、子どものことを考えると買うのを控えてしまう」と済まなそうに話していた。生産者は既に何人か自殺している。こんな時に国のスポークスマンは「出荷停止を指示しました」と平然と話している。「お前は指示する立場ではないだろう」という怒りの声が何故、出てこないのだろう。国は「補償をします」「東電に補償させます」と言っているが、補償できる財源が無いことは皆知っている。何故、怒らないのだろう。生産者が組織している農協や漁協、消費者の食の安全を守る生協、その他、様々な団体があるにも係わらず、怒りの行動に出ている団体はない。
 いよいよ国民の主食である「米」に焦点が当てられている。二重の安全検査をしても風評被害は防ぎきらないだろう。それは歴史が証明しているし、今回の風評被害は商品ではなく、地域全体の風評被害なのだ。
 今回、起きている問題の利害関係者を間違えてはいけない。生産者と消費者という関係性で捉えてはいけない。それでは国の思う壺にはまってしまう。生産者と消費者は「共通利害関係者」であることをしっかりと認識し、一緒になって今回の問題に対処しなければならない。国の国民分断作戦に乗ってはいけない。昔のアジ演説のようになってきたが、将に国民統一戦線を張る時が来たようだ。