放射能安全基準と遺伝子組み換え

先日のテレビでまた放射能汚染の食品危害対策について討論していた。どうも議論が定まらずイライラする番組だった。放射能汚染の検査をするのはいいのだが、その検査結果の数値に対する客観的信頼性が欠如しているため、議論が空回りしているのだ。
私は全農安心システムを作るときに「安全」と「安心」の違いを強調し、「安全」だけでは解決できないことを「安心」で解決するという仮説を立てた。その「安心」が生産履歴と流通履歴を記帳する「トレーサビリティ」であり、「安全」は国が科学的根拠に基づく数値であった。今回は国が提示する「安全」の数値がコロコロ変わり、過去に経験していないので科学的根拠が欠落している。このような状況では何度、討論番組をしても混乱は深まるばかりで、国民が納得する安全は見えてこない。
番組を見ていて、昔も同じような議論をしていたことを思いだした。それは1997年の遺伝子組み換え農産物を巡る議論であった。当時、市民の間から遺伝子組み換え農産物に対する不安が問題視され、一部の地方議会でも問題点が指摘されていた。全農と取引のある生活クラブ生協から遺伝子組み換え農産物プロジェクトの提案がされ、生協の担当であった私はプロジェクトの担当になった。
最初の壁は国であった。当時の農水省と厚生省の見解は「アメリカでは何年にも渡って遺伝子組み換えの実験がなされ、その結果、安全性が証明されているので問題はない」の一点張りであった。私たちの主張は「安全性については問題があると思うが、食品及び食品の原料が遺伝子組み換え農産物であるかどうか知り、それを食べるかどうかは消費者自身が決定したいのだ」というものであった。当時、スウェーデンの消費者団体からは「消費者の知る権利」という概念が提唱されていた。しかし協議は平行線を辿り、全農内部からも「国が安全だと認定しているものにクレームを付けると海外からの原料輸入事業に影響するので中止しろ」という命令がくだった。
八方ふさがりのなか、当時はまだ遺伝子組み換え農産物のシェアが2〜3%であったので、輸出国との交渉で遺伝子組み換えをしていない原料の確保と輸入が可能かどうかを探った。(現在は80%前後)具体的には菜種の輸入相手先のカナダと交渉したが、問題は遺伝子組み換えをしていない原料だけを分別して流通することは不可能だと断られた。交渉が暗礁に乗り上げている時にプロジェクト内部から飼料用PHFトウモロコシのシステム活用提案があった。PHFとはポストハーベストフリーの略称で、収穫後のトウモロコシに農薬をかけないで日本に輸入するシステムであった。量は少ないが既にそのシステムは稼動しており、その産地であるアメリカ中西部との交渉に入った。そこではまだ総てのトウモロコシが遺伝子組み換えに転換されていなかったのが幸いであった。
交渉のなかでアメリカの生産者はこのように言っていた。私たちアメリカの生産者は農薬散布せずに環境に優しい農業を展開したいと思っている。しかしこれまでの取り組みでは、収量が減ったり、コストが増したり、実現できなかった。しかし今回の遺伝子組み換えの種は凄い。収量は従来どおり、コストもかからない、農薬散布の手間隙がかからず、生産者自身の健康被害も少ない。遺伝子組み換えは夢の技術だ。あなた方が何故農薬散布量の多い従来型の非遺伝子組み換えトウモロコシの栽培を希望するのか理解できない。この発言を聞いて、私はプロジェクトの主張が正しいのかどうか分からなくなった。しかし顧客の要望は実現しなければならず、プレミアムを支払うことで交渉は決着して、日本までの流通は確保された。
日本までの流通が確保されても、今度は日本での飼料工場を確保しなければならなかった。当時、遺伝子組み換えをしていない飼料を使う「ナチュラビーフ基準」を北海道の牧場と一緒に検討していた。この仕組みは後のBSE対策として牛の耳に「イヤータッグ」を付ける個体識別証明の原型となった。その牧場は当時、ホクレンから飼料を導入していたので、ホクレンと「非遺伝子組み換え飼料製造専用ライン」導入の交渉の結果、国内最初の非遺伝子組み換え飼料専用ラインが実験した。
当時の牧場の名前は「宗谷岬肉牛牧場」であり、牧場長は氏本氏で、現在は瀬戸内海の祝島で放牧豚の事業をしている。放牧豚だけではなく、祝島の反対側にある上関の原発反対運動もしている。祝島では彼が戻ってから島全体をエコにする取り組みが始まっており、単なる反対運動ではない。自分たちの暮らしをエコにしながら原発の無い暮らしを実現してゆく活動をしている。是非、一度、彼のブログを見て欲しい。
ホクレンの飼料工場以降、生協と産直をしている畜産産地が非遺伝子組み換え飼料に切り替えをしたので、専用ライン設置工場は全国に広がった。またトウモロコシだけでなく、菜種も全農がオーストラリアからの船便ルートを確保したので、非遺伝子組み換え菜種の交渉をしてカナダからの切り替えに成功した。大豆も個別コンテナ輸送とシッピングの双方で輸入ルートが確立した。
実は一連のこの動きが国を変えた。国は遺伝子組み換え農産物に対する安全性については触れずに、消費者が判断できるようにJAS法による表示を2000年3月に実施した。実に3年もかかった。非遺伝子組み換え原料使用の表示は様々な商品に貼付され、消費者の知る権利は確保された。
この経験は国がその安全性を担保できない放射能汚染の対応方法として、是非、参考にすべきではないか。国は国民の命を守るための最低限の基準を設定し、更に国民の知る権利を実現するために検査機械の配置を積極的に進め、検査データは総て公表する仕組みを整える。消費者である国民は食品のみならず、様々な放射能汚染の影響が考えられる事柄に対して、公表されたデータに基づき冷静な判断をして自己責任で行動をする。このような社会の仕組みが放射能汚染をされてしまった現在の日本に必要なのではないか。テレビやマスコミは混乱を助長するだけの活動に精力を注がずに、検査機械の普及と表示の仕組みを促進する活動をすべきではないか。