TPPの議論で欠落しているもの

TPP参加の議論が紙面を賑わしている。様々な意見があることは良いことだが、議論のなかで大事なことが欠落しているので指摘しておきたい。

一つ目は、今回の議論に「為替相場変動」が入っていないこと。現在の対米ドルは戦後初めての75円台に突入しているが、今後の為替相場の変動と関税問題は一体的に議論をしなければならない。例えば10kg1000円の米を輸入する場合、現状では1kg当たり351円の関税(778%)がかかるので3510円が関税となり、輸入米価格は4510円となり、国内価格と同一水準となる。しかし為替相場が50円になると輸入米価格は4180円となり、更なる厳しい価格競争となる。逆に為替相場が150円になると輸入米価格は5510円となるので、関税は1kg当たり250円(550%)まで引き下げても国内価格と同一水準が可能となる。このように関税問題だけに焦点を当てる議論は国民を欺いていることになる。

二つ目は、TPP交渉参加をにらみ農業改革基本方針と行動計画が決定されたが、内容が「耕作面積の拡大をすれば農業再生がされる」という論理。この論理は過去の北海道の農業政策で間違いが指摘されている。当時の北海道では規模拡大と近代化によって国際競争力を高める政策が実施され、北海道農業はEC並みになったと喜んでいた。しかし85年のプラザ合意から87年のブラックマンデーの間に250円から150円に円高が進み、EC並みにはならなかった。当時、私は西ドイツにいて北海道から来た生産者と話をすると、もう私たちがヨーロッパ農業に学ぶ技術は無いという会話が多く聞かれた。更に1戸当たり15haの水田を持つ大潟村の農業経営は国際競争力を持っているのか。計画生産という名の転作を義務付けられ、60kg当たり14000円前後の相場では、国際競争力どころか農家経営そのものが成り立っていない。それでも耕作面積の拡大で農業が再生されるとういう論理を国民に押し付けるのか。

三つ目は、関税引き下げても農家は直接支払によって守られるという論理のなかで、「現在の戸別所得補償が直接支払政策」だという間違い。直接支払政策とは農家に税金が直接支払われる政策ではなく、貿易自由化の下での国内農業保護対策として国際的に認められた政策であり、ガットウルグァイラウンド以降のEUや韓国で実施されている。政策の前提としては貿易自由化による関税引き下げによる国内農産物価格の低下がある。価格低下によって農業所得が低下するので、その補填を国民の税金によって賄う政策なのだ。日本の戸別所得補償はその前提となる価格引下げがなく、国民は高価格による農業支援と税金による農業支援の双方の負担をさせられている。中山間地対策も、今年から実施されている環境保全型農業直接支払い対策も、共に直接支払の位置づけであるが、国民には具体的な説明がなく、国民は直接支払による構造改革という意識はない。国民が直接支払を積極的に支持しない理由はここにある。農村票を当て込んだバラマキ政策と呼ばれても無理は無い。国会の中だけで議員が議論をしていてもこの問題は解決しない。

四つ目は、TPP参加による関税撤廃で「日本農業が壊滅的打撃を受ける」というのが反対派の理論であるが、実は「日本の国土が壊滅的打撃を受ける」というのが正しい理論。更に、今回のTPPによって国土が受ける打撃速度は速まるが、実はTPPに参加しなくてもこの問題は着実に進行しており、早急に手を打たないと取り返しがつかない。世間的には後継者問題という形で言われているが、農業の後継者がいないという問題は耕作放棄地が増大し、国土が維持できなくなることを意味している。ここ数年の台風や大水による洪水被害は天候のせいだけではなく、山林の間伐や中山間地の棚田が耕作放棄されていることが被害を大きくしていると言われている。テレビの被災地映像を見れば、河川には木材が散乱し、棚田は地滑りにより崩れ、より被害を大きくしている。もちろんダム建設が被害を大きくしているという点も忘れてはならない。現在40万haの耕作放棄地が100万haを越えるのは時間の問題だと言われている。稲作農家の殆どの人が話していること。「私は地域にいる限り田んぼは続ける。しかし息子には稲作を継がせないし継がせなれない」今回のTPP参加によって、進行中のこの問題にどのように対処するのか。この問題は耕作面積の拡大や新規就農で解決できる問題ではない。

 以上の四つ以外にも様々な指摘をしなければならない点があると思う。生物多様性の視点、震災復興の視点等。

 私はここでTPP参加問題について賛成、反対の議論は無意味だと思う。私はブログで何度も書いているが、今の議論は1993年ガットウルグァイラウンドで「米輸入自由化絶対反対」の議論と同じではないか。1993年当時の議論は、米の輸入自由化をしたら米価は下がり国内農業は壊滅的打撃を受ける。どこかで聞いたことのある台詞ではないか。輸入自由化を阻止した結果はどうなったのか。1993年に関税化を阻止したにもかかわらず5年後にはミニマムアクセス米の増大に耐え切れず国民の知らないところで関税化に転換。1993年以降、米価は下がり続け、減反政策は計画生産と名前を変えただけ、耕作放棄地は40万haに拡大、食料自給率は40%を切った。直接支払政策はEUの形を真似したが価格政策による農業保護政策から転換できなかった。これらの結果はガットウルグァイラウンドの交渉の時に「輸入自由化に賛成か反対か」の議論だけをしていたからではないか。農業についての基本的な方向性の議論をせずに、眼前の対処方法に終始していた結果、EUにも韓国にも戦略的に取り残されてしまった。

 ここでもう一度考えなければならないのは、TPP参加をメリット論だけで議論しないことだ。3.11以降、日本国民はこれまでの経済優先の価値観に疑問を抱き、これからの生き方を模索している。その中で、確実に感じていることは「地域の暮らしと命の大切さ」なのだ。このキーワードに沿ってTPP参加によって影響を受ける諸問題の基本的方向性を確認し、それをTPP会議の議論に反映させてゆくことが大切ではないか。国民の議論が熟さずTPP参加に間に合わないかもしれないが、国民の命の問題は経済の問題に優先し、時間を区切ってするものでもない。