命を守る尺度

 今年の3.11以降、世の中が大きく様変わりしようとしている。人間の命、人間の絆、家族の暮らし、地域の助け合い等様々な言葉で表現されている。これらの言葉に共通するキーワードは、「お金で買えないもの」ではないか。これまでは便利な暮らしを追求することが当然と思われていた。その便利さを追求するあまり、自動車に乗り、エアコンを使い、24時間照明をしている店舗を利用することに何の疑問も持たずに暮らしていた。更に、便利さだけでなく、便利さを安く手に入れるために電力供給エネルギーとして原子力発電を選択してきた。しかしその選択に対して自然は地震津波という形で警鐘を与え、更に放射能汚染という形で自然の姿を変えてしまった。
 
 それでは、これからどのような暮らしをしてゆけば良いか。私たちの暮らしを「便利と安いという尺度」から「命という尺度」に転換したらどうか。もちろん経済社会から価格表示を無くすということではない。これまでの私たちの暮らしは、便利で価格が安くて品質が良いものを選択してきた。その結果、私たちの暮らしの周りには海外製品が溢れ、食料自給率は40%を切り、エネルギーは原子力発電に頼らざるを得なくなってしまった。私たちがそれぞれを選択するときに「命という尺度」を入れてきたのか。
 
 身土不二という言葉が韓国にあるが、自分の命は耕す土と一体であるという意味。食料自給率から考察すると、日本人の命は日本の耕土と一体ではなく、世界の耕土に支えられている。つまり現在の私たちは、外面的には日本人だが、命の60%は外国人。主食のお米が100%自給しているので、まだ精神構造が日本人でいられるのかもしれない。
 原子力発電を選択した理由のなかに「命という尺度」は入っていない。エネルギーコストが一番安いという理由で選択してきた。しかしその選択は周辺地域だけでなく、日本全国、世界に放射能汚染を撒き散らす結果になった。更に放射能の種類によっては半減期が長期に渡り、自分たちの世代だけでは責任が持てないという事態を招いた。

 このような状態になっているにもかかわらず、未だにTPP参加問題に経済的メリットデメリット論で争っているのが日本の実情。TPPに参加して関税が撤廃されると、安い海外農産物が輸入され日本農業は壊滅的打撃を受けるという昔ながらの議論をしている。今、日本人は大きく変わろうとしている。総ての判断に「命という尺度」を入れようとしている状況のなかで、何故、日本農業を守る議論に「命という尺度」を加えないのか。食の安全の議論ではない。日本人は「便利と安いという尺度」で判断することの間違いを経験した。日本農業が「命を守るという尺度」で見た場合に、海外よりも大切であることが分かれば安くても買わない。総ての経済的価値観に優先するものが「命」なのだ。

 放射能汚染風評被害問題も従来の安全安心の議論から脱却できていない。放射能汚染問題は農産物だけでなく土壌、飲料水、廃棄物処理等、多岐に渡る問題。ですから昔のカドミウム汚染やBSE等の単一の食品問題と性質を異にする。更に安全の基準となる科学的根拠となる経験値がないので、一層問題を複雑にしている。今回の問題は商品の問題ではなく地域の問題。ですから地域全体の風評被害対策を実施しなければならない。地域全体の対策とは地域に住む人々が納得する対策であり、それが出来なければ商品を販売する相手先も納得しない。

 対策としては自分たちの住んでいる地域環境がどのような状態であることを知ることから始まる。もちろん放射能計測器を利用した調査は当然。しかし数値だけでは風評被害対策ではない。納得する情報をどのように自分たちが認知し、相手に伝えるかが大切。それには自分たちの住んでいる地域の植物や生きものの変化を調べることが基本になる。私たちの実施している「田んぼの生きもの調査」や「田んぼの植物調査」その他「クモ調査」「牛の健康調査」等が必要になってくる。それらの情報を収集整理することによって、自分たちの住んでいる地域の学校や公園や住まい、農地等の生きものの状況が分かる。そこで初めて地域での「命を守る尺度」が見えてくる。その尺度が見えてきたら農産物の販売先の消費者に地域情報として提供。消費者はその地域情報に納得して農産物を買うことが風評被害対策になる。

 いよいよ私たちの本格的出番が回ってきた。「命を守るという尺度」は生きもの調査のなかから生まれる。これは理論ではない。実際に体験することによって初めて感じることができる感覚。当センターは「地域の暮らしと命を守る」という言葉を今年から活動の基本に置いている。是非、一度、多くの人に生きもの調査を体験してもらい、日本人としての新しい価値観を広めてゆきたいと思う。