スイスに学ぶ国防と防災

ここに来て尖閣諸島竹島関連で補正予算の防衛費が増額された。更に、沖縄の米軍基地問題北朝鮮の核開発問題、北方領土問題、核武装潜在力としての原発問題等、国防に関わる諸問題が噴出するなかで自衛隊集団的自衛権問題が議論され、更に憲法改正問題にまで波及しようとしている。そのような情勢のなかでTPP参加問題では国論が二分されようとしている。しかしTPP参加問題では貿易自由化という経済問題だけが議論され、国防問題と合わせて議論されていない。国防も日米安保の視点だけで議論されている。これは日本人が抱いている国防意識に問題があるのではないだろうか。それは国防の基本が軍備と食料・医薬品・エネルギーの備蓄であることを認識していないからだ。この認識を持てば、今回のTPP交渉が食料と医薬品とエネルギーの問題に大きな影響を与えるので、国防の視点で議論する問題で「聖域」があるかないかという問題ではないのだ。

ここで国防とは何かをスイスに学んでみたい。スイスというと日本人は永世中立国とアルプス観光を思い出す。しかしなぜスイスが永世中立国になったのか、永世中立国とはいったい何か、スイスはなぜ観光立国としてなりたっているのか、それらの疑問に正確に答えられる日本人は少ない。
スイスの国土面積は400万ha(九州程度)、農耕地(永年草地を含む)は100万ha、放牧地は山岳森林地帯に100万ha、残りは森林。人口は750万人、食料自給率は約50%。数字だけを見るとスイスに学ぶ意味を見いだせない人が多いが、数字とは比較するためだけに存在するのではなく、数字の裏側の歴史と実態を知って始めて数字の意味が理解できる。

スイスでは国民皆兵を国是としており、徴兵制度を採用している。国軍として約4,000名の職業軍人と約380,000名の予備役から構成されている。20-30歳の男子に兵役の義務があり女子は任意。スイスの男性の大多数は予備役軍人であるため、各家庭に自動小銃(予備役の将校は自動拳銃も含む)が貸与され、定年を迎えて予備役の立場を離れるまで各自で保管している。
国としてのスイスは1648年のヴェストファーレン条約によって正式に神聖ローマ帝国からの独立を達成。そしてナポレオン以降の欧州態勢が決められた1815年のウィーン会議で、国家としての「永世中立国」が認められた。学校で習う歴史はこの程度まで。

それでは何故スイスは永世中立国となったのか歴史から学んでみる。スイスは国土の状況からして食料自給が出来ない位置におかれ、お金を稼がなければ食べて行けない国である。スイスの銀行や保険が世界的に有名なのはその理由による。銀行や保険以前のお金を稼ぐ方法が傭兵という職業であり、傭兵をしなければ食べていけない国民だった。傭兵といっても強くなければどこの国も雇わないが、山岳民族であるスイスの傭兵の強さはローマ時代から有名であり、様々な傭兵の歴史がある。ローマ時代は北方ゲルマン民族による領内侵入を食い止めるために傭兵として雇われていた。ちなみにローマにあるバチカン市国の衛兵はスイス人であり、バチカンがお金を払っている傭兵である。神聖ローマ帝国を舞台として、1618年から1648年に戦われた30年戦争当時、スイス盟約者会議(まだ国ではなく市単位)が外国軍隊の領内通過禁止を決定した。スイスという国がドイツ、フランス、イタリアという強国に挟まれ、常にスイス国内を他国軍が通過し、市民の安全を脅かしていたからである。その安全を確保するために1647年スイス国境警備隊が創設され、それがスイス式武装中立のスタートとなった。国民皆兵の歴史はこの時に造られた。

スイスは武装中立後も傭兵稼業は続けられていた。傭兵稼業はスイスの傭兵産業となり、フランスのルイ14世は傭兵をシステム化し、それ以降は他国の戦争で中立国のスイス人が両方の軍隊に加わって殺しあうこととなった。その典型的な事例が1701年〜1714年のスペイン継承戦争であった。スイス人傭兵の構成はフランス軍23,000人、オランダ軍13,000人、サヴオイ軍5,000人、スペイン軍3,000人、ドイツライン都市連合軍2,000人であり、スイス人は血を売って食料を買うとも言われた。このような血の歴史がスイスの永世中立の背景にあり、スイスが国民皆兵武装中立であることが理解できる。戦後の日本で「非武装中立」という言葉が言われていた時代に、スイスをどのように日本人は見ていたのであろう。

永世中立の話しはまだ続きがあり、第1時世界大戦の時にスイスはスェーデンとともに中立を守った。しかしドイツ軍による国境封鎖のために食料輸入がストップし、深刻な食料難に陥った。その経験を活かしてスイスでは憲法で食料備蓄を義務付けている。(残念ながら現在の日本の憲法改正論議では国民の命を守る一番大切な議論が欠落している)日本と異なり、スイスではその歴史と地政学から国民が飢えないための戦略が策定されているのだ。当初は国防上の理由から策定されたが、現在では経済政策の領域にまで政策対象が拡張されている。それはスイスに食料の供給危機をもたらす要因が直接の軍事的脅威から自然災害、事故、伝染病、テロリズム、資源供給国における紛争、気候変動、資源枯渇等へと移りつつあるからである。

飢えないための戦略は様々あり、8つの基本原則が定められている。特徴的な項目としては、非常時にはスイス国民の最小食品要求量が2300kcal(通常時3300kcal)に制限されるが、それを6ヶ月間確保することが目標とされている。その裏付けとして4ヶ月の義務的責任在庫という制度があり、それは国と民間企業の契約によって担保されている。そのため責任在庫機構は民間の自主的組織であり、その費用は販売価格に上乗せされ国民が負担している。ちなみに国民が負担する金額は1人当たり約1580円程度で、内訳は食料で539円、エネルギーで1006円、医薬品で19円程度だそうだ。日本の備蓄の概要は流通在庫も含め、米で1.4ヶ月分、小麦で2.3ヶ月分、飼料穀物で1ヶ月分、大豆で1ヶ月分あり、概算在庫費用は158億円なので1億2千万人が負担している金額は食料で131円程度。石油は6ヶ月分、LPGは1.8ヶ月分で負担金額は不明。医薬品はインフルエンザ用のタミフルが2100万人分、リレンザが60万人分を目標としている。

もう一つの特徴は、非常時の作付けが飼料穀物から熱効率の良い耕種作物中心に生産物を転換することなどが法律で定められている。将にこれは生産統制であり、ぜいたく品の生産や加工を停止し、生命のために特に重要な物資の生産にその原料を使用するように指示することである。これは平成5年の大冷害の時に国産米が食べられなかった反省に基づき、田んぼでお米を備蓄する対策と同じ発想である。通常は鶏に食べさせる飼料としてお米を生産し、非常時に人間が食べるお米にするという民間型の生産統制である。当時は食管法の時代で農水省の許可を得るのに苦労をしたが、現在の飼料米の走りとなった。このように食料備蓄は製品を在庫するだけでなく、農地で備蓄することが可能なのだ。

スイスでは1980年台から農家に対する直接支払い政策が展開されているが、それは将に国民の命を守ることを目的に発想されている。国防の基本である飢えない政策として、自国の農地を保全する農家に国防費として支払われているのだ。直接支払い政策は農業保護政策の一環としてガットウルグァイラウンド以降、世界の国々が展開しているが(残念ながら日本では本格的ではない)国民の命を守る国防政策としての位置づけがそこにはあるのだ。農地を守る政策の結果、スイスの山岳地帯アルプスの景観は放牧によって保全され、それがスイスの観光収入の増加につながっている。日本では国民の生命を守るための農地が次々と放棄され、国民の命が担保できなくなっている。

TPP参加反対の議論はもっと本質的な問題としてとらえなければならない。尖閣諸島問題等で防衛費を増額することに反対をしない国民は、日本の農地を守ることが自分の命を守ることに直結していることに気がついていない。農家のエネルギーを結集して反対するのであれば、国防の視点で農業を国民全体で議論しなければならない。TPPには医薬品もエネルギーもあり、ともに国民の命を守る視点で議論をしないと、この国の将来は展望できない。