TPP緊急対応策と田んぼ市民運動

TPP交渉参加が正式に決定した。農産物5品目や国民健康保険制度等の聖域を守ると明言しているが、総て交渉事である。国民に対するポーズは良いが、結果は寄り切られる可能性が非常に高い。交渉の内容が情報開示されないので、国民は結果だけを知らされ、受け入れざるをえない状況に陥る。将に歴史に禍根を残す判断と言わざるを得ない。

ここで安倍政権の批判だけをしていても状況は変わらない。賢い人間のすることは何か。TPP体制になった時の状況を想定し、その対応策を今から準備することである。想定というと直ぐに農業に対する影響は3兆円だとか、国民全体のGDP効果の議論になるが、そのような議論をしていても何も変わらない。関税が撤廃された時に日本の農業は何故、壊滅するのか、壊滅させる原因は何か、誰がどのような行動を取るのか、現在の消費者行動はどうなるのか、食料消費の半分以上を占めている食品加工や外食産業はどのように動くのか、農業生産をしなくなると耕作放棄地が増えるが環境への影響はどのようなものか、数え上げればきりがない。

ここでお米に絞って議論を展開してみたい。
関税が撤廃された時のシミュレーションは、私のブログに書いてある1992年に作成した試算を参考にしてほしい。多分、有機JAS米が10kg当たり3000円〜4000円程度、特別栽培米が2000円〜3000円程度、低価格米が1000円〜2000円程度ではないかと思う。このような価格の輸入米が店頭に並ぶということが、今回のTPPの結論なのだ。そうなった時に、日本の米は現在の価格水準で販売できるか。販売したとしてもどの程度売れるのか。それは可処分所得によっても異なるが、価格と食の安全性だけを判断基準にする消費者に販売するには、かなりの困難を伴うであろう。更に問題があるのは、現在の日本の米の半分以上を使っている業務筋はどのように対応するのか。既に国産低価格米が少なくなっている今年のSBS入札では輸入米の引き合いが強い。

これまでも牛肉における和牛、サクランボにおける佐藤錦等、輸入農産物に対抗してきた歴史はあるが、お米の場合は同じジャポニカ種の競争でインディカ種との競争ではないのだ。私の予測では対策を実施しない場合、一般小売の50%と業務筋の90%程度は輸入米にシフトすると考えている。牛丼のような汁物メニューはかなり輸入米を使用している。スーパーの店頭で国産牛肉とオージービーフを比べたり、国産豚肉とアメリカンポークを比べたりするのと同じ状況が米売り場で起きるのだ。財布の中身が薄い時は、背に腹は代えられないのだ。

このような状況は既にEUでは1992年以降、起きているが、EUの農業は壊滅的打撃を受けていない。EUも日本と同様にアメリカやカナダ等の国々と比較すると国際価格競争力が低いが、大胆な農業保護政策の転換をしているのだ。これは私のブログのガットウルグァイラウンドの項目で何度も書いているが、価格政策から本格的直接支払い政策(日本の戸別所得補償政策のレベルと違う)に転換しているので、EUの農家は壊滅していないのだ。EUは殆どの関税を撤廃しているので、現在、店頭価格に輸入品との差はない。それでもEU農家が存続しているのはEU農産物の店頭価格が下がっても、その差額が直接支払い政策で補填されているからだ。EU農家は税金で補填されるので農業が継続できるし、EU域内消費者は輸入品と同じ価格でEU農産物を買うことができる。

実は日本でもこれと同じ仕組を作るチャンスが20年前にあっ。しかし世界情勢を見極めずに「米を一粒たりとも輸入しない」という反対運動の結果、今日のTPPまできてしまった。このEUの仕組みは世界が20年前に認めた仕組みなのでISD条項の適用は無い。関税を撤廃し自由貿易を促進することと、国内農業を保護することは相反することではないのだ。そのことに気が付かなかった結果が今日のTPPになってしまった。

対策の基本は国際価格に国産米の価格をあわせることである。現在でも一部のお米が高く販売されているが、それはあくまでも差別化商品であって、農業の太宗を決めるものでは無い。商品経済の価格と品質については同じ土俵で勝負しなければならない。しかし、それでは国産米の生産原価を下回ってしまうので、米を作り続ける農家はいない。
農家が米を作らなくなるということの意味を殆どの国民は理解していない。耕作放棄された水田が200万haになるということを、様々な視点でシミュレーションしてみると分かる。「国敗れて山河あり」ではなく「国敗れて山河も無し」そんな国になってしまうことを想像してみると分かる。

本当は国がもう一度、直接支払い政策を国民全体に呼びかけて作ればいいのであるが、現在の政治や官僚や農協組織の仕組みでは無理であろう。何故ならば、予算規模の問題もあるが、今回の問題は農業という産業政策では無いからだ。国民全体の国土政策であり、環境政策であり、教育政策であり、観光政策であり、人間としての価値観や生き方を根本的に変えることなのだ。これらの視点で検討を加えれば、最後は憲法を改正して農業を位置づけるところまで行く問題なのだ。

それでは具体的にどうするかというと、私は店頭価格とは別に農家を支える仕組みを地域から作ろうと思っている。店頭のお米から農家や地域が見えるようにし、その農家や地域を支えるお金が流れる仕組みを自分たちで作れば良い。幸いなことにお米はトレーサビリティ法によって、地域と農家と農法が特定できる。(私の作ったトレーサビリティは地域の環境をトレースすることを目的の一つとしていた)店頭のお米から得られた情報に基づき、農家や地域の取り組みを支援する気持ちになったら、支援金を出せばいい。災害の時だけに支援金は出すのではなく、地域の荒廃を阻止するために出す支援金があってもいい。ここで勘違いしてはいけないのは、有機栽培とか特別栽培という基準で支援金をだすのでは無いことだ。自分の食べるお米の安全性の対価として支援金をだすのではない。地域を守る活動に対して出す支援金であることを忘れてはならない。

支援金の金額は一定ではなく、地域の取り組みに対する感動の度合いによって変わる。地域によってはTPPではなく、後継者不足のために耕作放棄地が増える場合がある。その時には支援金だけでなく、労働参加という形での支援形態もある。私の田んぼ市民では「生きもの調査」を支援の判断材料としている。生きものブランド米ではなく、地域を守る取り組みを農家と地域住民と子どもたちが一緒に取り組むことが大切なのだ。生産者と消費者という関係性から、日本の国土、自分の地域を守る共通の市民という関係性になることである。

緊急対策といっても「一鎌起こし」といって一度に状況を改善する方法は無い。近所の農家から、親戚の農家から、産直の農家から、できるところから皆で始めればいい。支援金は地域の荒廃を防ぎ、地域の生きものを大切にするために出すのであり、その支援金が結果として農家の所得を補填することになる。農家の仕事はお米を作ることだけが目的ではなく、地域の環境を保全し、地域の生きものたちを育むという結果も伴う仕事なのだ。だからTPPによって農家や水田が無くなってしまっては、私達自身が生きられなくなるということを意味している。後から国の政策が出てきた場合には、国の政策と合わせて市民による支援の仕組みを続けて行くつもりである。