TPP参加に反対している農家と国民へ

現在、TPP参加反対運動がJAグループを中心に展開されているが、反対運動が功を奏してTPPに参加しないことになった時、その先はどうなるのだろうか。またJAグループはどうしようとしているのだろうか。残念ながら、その部分が全く見えてこない。TPP参加はやむを得ないという判断で、自民党と条件交渉に入っているのだろうか。最近のニュースでは農業所得を2倍にするとか、農業の多面的機能直接支払いとか、TPP参加の痛みを金銭で解決する構図になっているのがその証拠ではないか。それは7月の参議院選挙向けとしか思えない農村票獲得プランであり、農家の怒りを札束で収める話しである。これでは全く20年前のガットウルグァイラウンドの経過と同じで、農家と国民は置き去りにされている。何故、このように同じ失敗を繰り返すのか考えてみた。どうも反対運動の戦略構築に問題があるのではないかという結論になった。これはTPPだけでなく、安保反対運動、米の輸入自由化反対運動、原発再稼働反対運動、普天間基地移設反対運動等、様々な反対運動の戦略のことを指している。反対運動の殆どは矛先が政府であり、国際間の条約締結に端を発しているものが多い。私がここで問題にしているのは、反対運動をしている人間の国際情勢分析の欠落と、反対運動が挫折した場合の戦線再構築具体策の欠如の2つである。

60年安保と70年安保の反対闘争の時に、私も含めた若者たちは「安保反対」のシュプレヒコールをしながらデモ行進をしていた。しかし、その実態は、「憲法9条を遵守して非武装中立を守ることが日本の平和を守ることだ。アメリカ軍の協力は要らない。」という論理を鵜呑みにしていただけである。北朝鮮からミサイルが発射されようとしている現在、「安保反対、アメリカの核の傘は要らない、アメリカに守ってもらわなくても日本には平和憲法がある」若かりし時の論理に基づき、このようなシュプレヒコールをしていたら狂人扱いされるのは間違いない。当時の国際情勢と今日の国際情勢は東西冷戦の終結を境にして大きく変わったが、当時の私達若者の頭の中には、国際情勢を考える余裕がなく、多分仲間はずれにされることの怖さが先にたったのではないかと思う。更に、安保反対闘争が挫折した後、どのように日本という国の平和を守るのかという議論は全くしなかった。単純な思考法でゆけば、安保反対闘争挫折後は日本を守るために非武装の考え方を改め、デモ参加者全員が自衛隊に入隊するという選択もあったのではないか。

20年前のガットウルグァイラウンドの時も「米を一粒たりとも入れない」というシュプレヒコールのもとに農家と農協と政治家が一緒になって反対デモ行進をした。しかしその時に、ガットで農産物の関税化交渉がされるようになった歴史やその背景をきちんと理解していた人はどの程度いたのだろうか。ガットが世界平和のために設立されたこと、当初のガットでは農産物が対象品目では無かったこと、ECとアメリカ等の農産物輸出国との競争が激化して対象品目になったこと、農業保護について消費者が負担する価格政策と納税者が負担する直接支払い政策が議論の争点であったこと、これらの情勢と歴史をきちんと理解したうえで「関税化反対運動」が展開されていたとは思われない。当時の新聞記事には、国民がきちんと理解できるような解説記事が掲載されてはいなかったし、政局だけを流して政策をきちんと伝えないマスコミの姿は今日も変わらない。JAグループも「関税化反対」だけで、国際情勢に即した農家の置かれている立場を農家や国民に向かって発信しなかったし、それは今日のTPPも同様である。

ガットウルグァイラウンドの米の部分開放という決着は、「関税化を受け入れなかった」という点では反対運動の勝利になり、「6年という猶予期間が与えられた関税化を受け入れた」という点では反対運動の挫折であった。どちらの見解をとるかは問題でなく、安保と同様にどのように日本の農業を守るかという議論が大切だったのだ。しかしガットウルグァイラウンド対策費という名目で6兆1千億円の税金がバラまかれ、関税化を前提とした国民的議論は展開されず、反対運動をしたJAグループからも具体的な提案が無かった。その後、1995年に食管法から食糧法への大転換の時に、実は「価格政策から直接支払い政策への転換」という国民的議論をしなければならなかったが、規制緩和という名の下の政策転換として扱われ、議論されなかった。更に1999年にはMA米の増加に耐え切れず、6年間の猶予期間の前に関税化へ大きく舵をきったが、その時にも国民的議論がされなかった。その後、ドーハラウンドで本格的関税化の協議がされる予定であったが、多国間交渉そのものが頓挫してしまい、EPAFTAという2国間交渉やTPPのような経済圏交渉に移行したので、関税化問題が表面化しなかった。関税化と同年の1999年には農業基本法が改正され、食料・農業・農村基本法となり、国際情勢を受けた基本法になったにも関わらず、農業保護政策の転換は国民的議論にならなかった。農水省はそれ以降、中山間地対策や農地・水・環境保全向上対策、経営安定対策等の直接支払い政策への転換を図ってきたが省内の予算組み換えの域を出ず、政策転換がどのような意味を持つのか国民的議論がなされずに今日まで来た。

今回のTPP反対運動は、まず1993年のガットウルグァイラウンドから20年間の歴史を総括し、TPP参加問題の国際的情勢を分析して議論をしなければならない。世界の歴史は日本がTPPに参加しなくても関税撤廃の方向に流れており、その流れ中で「日本の農業をどのように保護するのか」という国民的議論をしなければならない。TPPに参加した場合の損失額で議論している時ではない。現在の農業所得倍増論や多面的機能直接支払い論は、当面の参議院選挙対策には通用するかもしれないが必ず失敗するであろう。何故ならば、国民が世界の情勢を理解し、「日本農業を守るためにはこれまでの消費者が支える仕組みでは無理があり、国が税金で支える仕組みに転換しなければならない」という結論に至っていないからだ。それは20年前から今日までの歴史が証明している。

国が税金で支える仕組みとは、「国民の命を支える農業生産」「農業生産を支える農地」「農地は大切な日本の国土」「国土を耕してくれている農家」「農家の暮らしを支える地域」「地域の暮らしと多様な命を支える農業」これらのことを国民が理解することによって税金が投入されることだ。それは現在の農水省の予算の枠内での議論ではなく、国土交通省環境省文科省等から省庁横断した本当に必要な予算を確保しなければならない。更に、TPPに参加して関税撤廃され安い輸入農産物が入ってきても、日本国民は国産農産物を買い続けることの真の意味を理解しているので農家は怖れることはない。

今、本当に大切な反対運動はムシロ旗を立てたり、選挙でTPP賛成派を落選させることではない。農家はお米を買ってくれる消費者としてではなく、日本という国土に一緒に暮らしている国民に対して、農業を語らなければならない。自分の暮らしと自分の地域は自分で守らなければならない。政治家や農協は守ってくれるのではなく、守る手伝いをしてくれるだけだ。規模拡大や輸出拡大も産業政策としては大切だが、一番大切なことは日本国民が「日本の国土である農地を守り」「その農地を守っている農家の暮らしを守る」そのことの意味を真に理解することなのだ。まずは農家自身がこのことを理解して行動をしなければ農業を知らない国民には理解できない。自分たちの地域から語り、都会にいる親戚に語り、米を食べてくれている消費者に語り、そうすることが真の協同活動ではないだろうか。

国民は農家の語りに耳を傾け、農業を語る時に「食の安全」や「価格」だけで語らず、自分の「命」の視点で語らなければならない。日本人の誰もが経済至上主義に疑問を抱いている現在、もう一度、農家も国民も豊葦原瑞穂の国に何千年何万年も住んでいる仲間なのだということを思い起こして欲しい。