農協改革の先送り

規制改革会議答申の農協改革がトーンダウンしてきた。私とすればこれまで書いてきたように、今回の改革は国民が農業問題を真剣に理解する絶好の機会だと思いいくつかのブログを書いてきた。しかし今回また先送りをするということは、従来と同じパターンを繰り返す可能性がある。平成4年に農水省はガットウルグァイラウンドの結果を受けて日本農業の構造改革を目指し、新しい食料・農業・農村政策の方向(新政策)を本格的に展開しようとした。内容としてはEUのCAP改革のような構造改革を目指し、農業の法人化を進め農協の圧力を弱める政策内容であった。私は当時、全農内部に危機感を持たせるためにこのように説明をした。昭和36年に制定された農業基本法と今回の新農業政策を比較すると「農協」という文字が極端に減少している。これは今後の農業政策における農協の役割が大きくかわることを意味しており、全農も従来の考え方を改めなければならないという提言をした。しかし結果は農業生産法人への対応プロジェクトを発足させただけで、根本的には何も変えようとはしなかった。形としては農業生産法人対応のTAC制度ができただけで、それも生産資材を法人に販売することを目的としており、構造改革とは程遠いものである。

農水省の新政策はその後、自民党農林部会の圧力により挫折し、本格的な農協改革は実現しなかった。このように日本の農業政策は農水省と農協と自民党のトライアングルのなかで持ちつ持たれつの関係性で推移している。今回の農協改革はそのトライアングルの力関係が崩れ始めたから起きた現象だと理解していたが、まだそうでは無いらしい。私はここで問題にしているのは、農業政策がトライアングルの力関係で決められ、そこに国民の声が反映していないことなのだ。日本型環境支払いと言ってみたところで、国民は農業を産業政策としてとらえ、地域政策としては捉えていないので、政策と自分との利害関係性が理解できていない。新政策が失敗した原因も農水省構造改革の真の意味を国民に問おうとしなかったからである。20年経ってもその構図に変化は無い。

農協もそのことに気がついていないので、全中廃止や全農の株式会社化が地域や国民に対してどのような影響を与えるかという視点で議論していない。私は規制改革答申が産業競争力という視点だけで農協改革を論じているので、ここも国民不在と思っている。私はここで農協改革がけしからんと言っているのではない。農業や農協の問題は殆どの国民が分からない。分からないまま国民の意見が政策に反映されず物事が決まってしまい、後世代にその付けを払わせることだけは避けたいと思うからブログは書き続ける。