EU市民の意識

環境支払いや新政策の項目でも少し触れたが、EUの農業改革を目標にして農水省は農業構造改革を進めようとしている。私はEUモデルに固執しないほうが良いと思っている。それは私が1980年代のEC市民であった経験から肌で感じ取っている。

私がEC市民だった当時、EU統合などはまだまだ先のことだというのが一般的市民感覚だった。何故ならば、当時のEC予算の80%はCAPという共通農業政策に使われていたが、市民としての共通意識はなかなか醸成できないでいた。それは西ドイツとフランスの対立が激しく、更に新規にEC加盟したスペインとギリシャの農産物がEC市場で激しく競争していたからなのだ。フランス農家がスペインのトマトを満載したトラックを横転させたりしていた。競争の原因は価格であり、その原因は為替と農業労働賃金であった。当時のECも手をこまねいていたわけではなく、グリーンレートという農産物独自の為替レートを設定したりしていた。更にEC域内の農産物価格を維持する政策や過剰農産物の輸出補助金政策を展開していたが、その結果、EC農業予算が肥大化し、それがEC統合を妨げていた。そのような状況のなかで1988年の欧州理事会では、農産物価格支持制度の転換や財政負担の軽減等の画期的な政策転換に合意した。これがその後のEU統合への転機となり、更にマクシャリー改革への流れとなった。当時の西ドイツの新聞にも大きく取り上げられていたが、日本の新聞の記事は見当たらなかった。

このようにEC市民にとって農業問題は日本人とは比べ物にならないほど重要な問題であり、単なる消費者視点だけでは無かった。自分たちが納税した税金の使われ方に関心を抱くのは国民として当然のことであった。その当時から農業政策における価格政策の限界が国民的議論になっており、当時、並行して行われていたガットウルグァイラウンドの動向を見極めながら政策決定をしていた。当時の日本ではガットウルグァイラウンド交渉において「米を一粒たりとも入れない」という国会決議がなされたりしていた。それは国際動向を読みきれなかった政治家、官僚、農協、マスコミの責任が重大であるが、ECのような国民的議論を巻き起こせなかったところに最大の責任があったと思っている。ガット交渉の内容は日本のコメ問題ではなく、世界の農業保護政策の転換の議論だったのだ。的はずれな交渉の結果、日本の稲作農家の収入は激減し、稲作農家はどんなに規模拡大をしても将来展望が切り開けず、息子を後継者にしない状況が生まれてしまった。