協同組合と給料

私は全農在職中から異端児と言われ続けた。何故、異端児なのかというと普通の人が考えつかないようなことを企画して実践するからだと思う。
所沢のダイオキシン農家の事件を見て、農家の無実を証明する方法を研究するうちにトレーサビリティという仕組みの開発に至り、BSEで牛肉市場価格が低迷から脱却出来ないのを見て、個体識別情報と個体検査情報をドッキングしてスーパー店舗で情報検索が出来る仕組みの開発に至り、遺伝子組換食品の安全性に疑問を持つ消費者と農家がいるのを見て、遺伝子組換をしていない飼料を輸入する仕組みの開発に至り、産直農家が交流会で産直疲労を起こしているのを見て、生きもの調査という新しい産直の会話の仕組みの開発に至り、これらの開発の過程では総てに渡って私は周囲から変人扱いをされてきた。
何故、私は変人なのか。それは私の企画が殆ど全農の収益に貢献しないとか、農水省等の行政の意向に逆行するとかの理由であった。それは全農の職員だけでなく、農家でもそのように言う人間が多かった。普通の人間であれば、そこまで馬鹿にされれば企画そのものをやめてしまうのが普通である。しかし私は何故、馬鹿にされても続けたのか。その理由は「協同組合精神にあった。
協同組合精神とは「一人は万民のために、万民は一人のために」というライファイゼンの言葉だとか、ロッジデールの原則にあるように「相互扶助」の精神と一般的に言われている。私の協同組合精神はそれとは異なり「誰から給料をもらっているか」という認識から出発している。
私は若かりし頃、新潟の県担当をしていて経済連の機械部長から質問をされた。その部長は戦争で爆弾の破片が足に残っており、筋を通さないと会話をしてくれない人物であった。「原くんは誰から給料をもらっていると思う」私はじっくり考えてから「全農です」と答えたら部長からゲンコツが飛んできた。「原くんは協同組合に務めていることの意味を理解していない。君の給料を出しているのは農家組合員なのだ。農家組合員がNOと言った瞬間に君の職場は無くなるのだ。全農とはそのような職場なのだ。良く覚えておけ」
私は家に帰って妻に「全農は親方日の丸ではないのだ」と話した。そしてその時が来たら2人でラーメンの屋台をひくことを確認した。今はそんなことを妻は忘れ、多分一人で屋台をひくことを強要するであろう。
私の仕事哲学はそこから来ているので、周囲の人間がなんと言おうと、農家組合員にとって必要なことは徹底的に追求するのが全農での私の仕事だと思っている。しかし全農を始め殆どの全国連の農協職員にそのような考えは無い。全農という組織を維持するために経営を総てに優先し、農家組合員はその次にくるのが全国連農協職員の実態なのだ。