いのちの感謝収穫祭

11月に「いのちの感謝収穫祭」を明治神宮で行った。行った理由は、勤労感謝の日が戦前は「新嘗祭」という新穀の収穫を神様に感謝する行事が行われていたことを殆どの国民は忘れてしまったからだ。GHQは昭和20年の神道指令により、政教分離政策の一つとして国家神道と関連する祝日の名称を変更し、新嘗祭も「勤労感謝の日」という名称になった。
更に戦後の米の増産政策と食の洋風化政策による需要の減少により米の需給は100%を達成し、その結果、昭和45年に減反政策が始まり未だに継続している。このような状況が45年も続いたので日本国民は豊作を喜ぶという当たり前の感情を失ってしまった。更に高度成長経済を経験するなかで、農業も一つの産業として見る考え方が当たり前となり、生産性や安全性や品質という消費者の視点だけで論じられるようになってしまった。このことは現在の日本人が「安くて安全であれば輸入米で構わない」と思い、米価が低迷して稲作農家が田んぼを耕さなくなっても何の痛みも感じない国民になってしまったことを意味する。耕さなくなった田んぼに生きものがいなくなることなどは、国民は全く意に介さない。このままではTPPで輸入米が急増しても、米の値段が安くなるといって日本の消費者は歓迎することが予想される。消費者はその結果、「国敗れて山河あり、城春にして草木深し」となることを想定していない。
今回の企画は、「豊葦原の瑞穂の国」が滅びようとしていることを、国民が認識することを目的とした。消費者として米を考えるのではなく、豊葦原瑞穂の国の民として米を考える機会が今回の新嘗祭明治神宮で行うことにより一部には右翼的活動ではないかと勘違いする人がいるが全くそのようなことはない。
講演会では憲法・皇室法研究科の田尾さんに「稲作神事と日本人」の話をしてもらい、私の仲間の宇根さんには「神とタマシイと情愛の世界を求めて」というタイトルで話してもらった。ともに「現在の日本人が忘れてしまったものは何か」、「日本人が大切にしなければならないものは何か」という話であった。
参加した稲作農家は、新嘗祭天皇宮中祭祀であり、全国の稲作農家とともに収穫を喜ぶ儀式であることを知り、大変喜ぶとともに自分たちの稲作に誇りを持った。参加した神社関係者は、田んぼの生きもの調査が「八百万の神様」を認識する活動であり、経済成長や科学技術優先の現在の日本に警鐘を鳴らすものであることを認識した。
講演会終了後は一般的なパーティではなく、全国の8ヶ所の稲作農家の新米を温かいご飯で食べる企画とした。新米は生きもの調査を実施している農家や有機栽培をしている農家から提供してもらった。新鮮な玉子と海苔や醤油を揃えて「卵がけご飯」を味わってもらい、漁師が採った海の幸を使った佃煮やフリ大根等も提供した。更に4ヶ所の酒蔵から日本酒を提供してもらい、出展している農家や神社関係の方、様々な取り組みをしている市民たちの話が盛り上がった。従来の生産者と消費者の交流会とは異なり、様々な人たちが集まり、日本国民としていのちと収穫に感謝する集いとなった。
今後はいのちの感謝収穫祭を全国各地の神社と地域で展開することを考えている。地域の生きもの調査の結果と生きもの語りを「絵馬」として地域の神社に奉納し、それを地域の風土記として後世に残す取り組みとしたいと思っている。そうすれば豊葦原の瑞穂の国の民として、経済成長や科学技術を優先しない価値観を持った社会が実現し、その社会を後世の民に引き継ぐことができる。