タテ社会ヨコ社会

1967年に出版された中根千枝の著書『タテ社会の人間関係』を読んだ時には私はまだ18歳の学生であった。文化人類学という言葉とともに何となく分かったような気になっていたが、50年以上経過した今、初めて理解できたことがある。それは日本人が西欧近代社会以上のタテ社会になってしまったということだ。私のタテヨコの言葉遣いは中根さんとは異なるが、国民の課題解決方法が戦前までの日本社会から大きく変化したというのが私の認識なのだ。最近では「近代の超克」という言葉が使われているが、現代の日本人は西欧人以上に個人主義が発達してしまい、そのことを現代日本人が認識をしていないところに危機が存在するという考え方なのだ。
現代日本の抱える様々な課題、人口減少と年金負担、原発再稼働と自然エネルギー、デフレ脱却と経済成長、集団的自衛権尖閣竹島、介護と福祉、防犯と防災等、これらは総て政治的課題であり国民は国の政策と予算抜きには解決できないと思っている。国民は国の政策に対する選択はデモや反対運動等の要請行動と政党の公約に対する選挙しか方法が無いと思っている。国民は納税の対価として行政による公共サービスを受ける権利があると思っていたが、その予算は充分ではなく、消費税率のアップ受け入れも致し方ないと思っている。
しかし本当にそうだろうか。これは現代の日本人がタテ型社会の構造にドップリ浸かり、解決方法を見失ってしまったからではないだろうか。これがタテ社会とヨコ社会の私の問題意識である。
そこでもう一度、西欧哲学の歴史を勉強している時に、ハイデッガー実存主義和辻哲郎実存主義の違いを書いた文章に出会った。ハイデッガーは「時間」に着目した実存主義者であるが、和辻は「時間」だけでなく「空間」も重視する実存主義者であった。つまりハイデッガーは「人間とは何か」の問いに対し、人間を「その人だけの生涯という時間」で意義付けようとし、きわめて個人主義的な思想家であった。和辻はそれに対し、社会という「個人を包む空間」を視野に入れ、人間が持つ「個人」と「社会の一員」という二面性を見出した。そして「存在」という言葉そのものが、そうした人間の二面性を示しているということを「風土」という著書で言っている。「存」という語は「何かがあることを人が自覚する」という意味であり、そこには時間の意味が含まれている。「在」という語は「どこかの場所にある」という意味であり、そこは「社会のどこか」であり、「人間が社会と関係している、同じ社会に暮らす他人とつながりを持ちながら生きている」ということを示している。
和辻にとって人間の自律とは、周囲に流されない「自分は自分だ」というしっかりした自覚を持ち、そのうえで、「自分だけにこだわる気持ちは捨てて社会の一員としての自分を作る」ということだった。将にタテ社会を象徴する典型的個人主義とヨコ社会を象徴する日本型ムラ社会意識があって初めて、日本人が存在するのだ。日本の伝統文化に美を見出す和辻は「天皇を頂点としてまとまる日本社会」が「在」であり、「天皇崇拝国家」の信奉者というレッテルを戦後にはられた。しかし、それは占領政策としての国家神道の否定の影響を受けただけで、戦前までの日本社会の特質と西欧哲学との違いを明確にしている。戦後の日本人はハイデッガーの背景にある西欧型個人主義に基づく実存主義に染まってしまい、戦前の日本人が持っていた「社会の一員としての人間」である「在」という語を忘れてしまった。
この「在」という語は「神」の問題と直結しており、西欧哲学の基本は「絶対神」が自然を創造したので「在」の前提が日本人と異なる。古事記にもイザナギイザナミという国生みの神はいるが「絶対神」では無い。和辻の風土ではないが、日本人の「在」は「豊葦原瑞穂国」であり、昭和の40年代後半までは米は増産され、豊作を日本人全体が喜んでいた。しかし減反政策以降は、豊作を喜ぶ日本人が減少し、豊葦原瑞穂国という言葉も聞かれなくなってしまった。それは「新嘗祭」という神事の日が「勤労感謝の日」という訳の分からない祝日になってしまい、そのことを学校でも教えない。その結果、2000年以上かけて営々と築き上げてきた日本の水田は耕作放棄地となり、TPPによって更に耕作放棄地が加速されようとしている。それは豊葦原瑞穂国の国土が消滅してゆくことを意味していることを現在の日本人は意識していない。和辻が言う「存在」という日本人の原点から「在」という国土がなくなり、「存」という自分だけの生涯のなかで考える西欧型個人主義に日本人が転換してしまったことを意味している。西欧では個人主義に基づく思想は継続しているものの、社会政策としては「在」に注目した地域環境政策に大きく転換している。しかし現代の日本人はそのことに気づいていない。
現代日本社会が抱える様々な課題はタテ社会の政治では解決できない。もう一度、「在」に対する意識を新たにし、地域から社会を変える取り組みに転換してゆかないと、豊葦原瑞穂の国はいずれ消滅の危機をむかえるであろう。