原発再稼働とふるさと納税

原発の再稼働を容認する自治体に対して新しい交付金が至急される記事が掲載されていた。内容については呆れてコメントをするつもりはないが、やはり現在の民主主義の仕組みを変える時期にきていることを痛感した。私たちは選挙によって議員を選出しているが、どうも民意とはかけ離れたところで政治が行われている。政府は民意が反映された選挙によって選ばれた議院内閣制を盾に、原発再稼働を強行しようとしている。現在の民主主義のルールでは原発再稼働反対運動をするか裁判に訴えるかしか方法がないと思われている。しかし本当にそうなのだろうか。原発設置県と市が再稼働を了承しない限り、政府も強行はできない。そこで地方行政が了承しなくても良い方法を反対している市民がすれば良い。地方行政が了承する理由は地方交付税を含めた国からの税金である。お金が現代の民主主義をおかしくしているのだ。

税金は私たち国民が義務として負っているのが民主主義と教えられている。しかしその国民の税金を国民の意志とは違うところで使われているところに民主主義のルール問題がある。しかし用途を決めているのは国民が選出した議員であり、そこは民主主義のルールに則っていると強弁するのが権力者である。そうであればお金に左右されない民主主義のルールを作れば良いのではないか。そのヒントがふるさと納税に隠されている。現在の税金体系の中にも目的税というルールがあるが、その目的は国民の要望に基いて造られたものではなく、政府の予算確保を目的として作られている。そこで国民の要望に基づいた政策を実行する仕組みを作れはいいのだ。

具体的には今回の原発マネーが原因で福井県原発が再稼働されようとしているが、福井県原発再稼働をしない県条例を作れば良いだけだ。福井県は国からの交付金相当分をふるさと納税の仕組みを使って集めれば問題は解決するはずだ。国の顔色を見ないで正々堂々とやれば良いのだ。県条例の情報開示と広報は福井県民だけでなく全国民、全世界の市民を対象にすれば良いし、様々な副次的効果も期待できる。従来の民主主義のルールでは「納税は義務」であったが、今回の民主主義のルールでは「納税は権利」となる。この権利は国民の権利ではなく、県民や市民の権利であることを確認しておきたい。地方自治は市民により近い問題を解決する民主主義の場であり、本来であれば国が関与するものでは無い。しかし現在では原発再稼働だけでなく、辺野古問題に対しても国は圧力をかけている。そしてその圧力の屈する最大の原因が金なのである。民主主義の本質がお金にねじ曲げられてはならない。

今回の原発再稼働だけでなく、私は自分が住んでいる地域の課題にこの新しい民主主義のルールを導入しようと思っている。導入するに当って私は3つの約束を地域住民にしてもらう予定にしている。1つ目は課題の抽出と解決方法の知恵を住民自ら出すこと。2つ目は解決策に住民自ら参加して汗を出すこと。3つ目は解決するための予算を確保するために住民自ら金を出すこと。この新しい民主主義のルールは、日本人がお上意識から脱却して本当の日本型民主主義を実現する道筋ではないかと思っている。これまで25年間の地域活動の集大成として何とか死ぬまでには形を少しでも残せたらと思う。