新嘗祭

今月の25日に明治神宮の参集殿で「いのちの感謝収穫祭」新嘗祭を開催する実行委員長になっている。この取組は農山漁村資源開発協会が以前から主催しているもので、私たちは昨年から事務局としてお手伝いをしている。
従来の新嘗祭の企画とは多少異なり、昨年から「いのちの感謝収穫祭」という名称を前面に出している。それは新嘗祭という言葉自体を多くの日本人が忘れてしまい、11月23日は勤労感謝の日という認識しかもっていない。そこで生きもの調査をしている産地の農家に多く参加してもらうために「いのちの感謝収穫祭」という名前にし、従来の収穫に感謝するとともに多くの「いのち」にも感謝する気持ちを表現することとした。ここで開催に当って作成した趣意書を紹介したい。

わが国は古来より「豊葦原の瑞穂の国」とも称され、稲作を中心とした自然を尊ぶ世界でも特筆すべき独自の文明をつくりあげてきました。それは牧畜と畑作を中心とした一神教キリスト教を背景とした人間中心の西洋文明とは異なるものです。日本の稲作文明は、生きとし生けるものの命を大切にし、更に自然の神々との一体感を大事にする、永続性を持った優れた価値体系なのです。それはアジアモンスーンという高温多湿な気候と風土のもとで、稲という生産性の高い種と多様な生きものを育む水田農業に裏付けされています。
日本の神話では、天照大御神天孫に稲穂を授けて天降らせ、この国を稲穂の豊かに実る国にするよう命じたとされています。その使命が、日本国の歴代天皇に受け継がれて、 宮中では今日まで毎年、その年に収穫された新穀を神様に捧げて感謝する「新嘗祭」と呼ばれる祭典が行われております。これに合わせて全国各地でも、神社を中心に新嘗祭や秋祭りが行われてきました。しかし、その元々の精神が今日失われつつあるのは残念なことです。
農は国の大本と言われてきました。私たちはこの新嘗祭を、いのちの糧であるお米に対する感謝だけではなく、その収穫を支えてくれている天地自然の恵みと稲作農家の労き(いたづき)への感謝、それに水田が育む多様な生きものたちのいのちをも大切にする祭典にしてその本来の精神を甦らせ、さらに新しい世代へ伝えていきたいと願っております。そこで、稲作農家とお米や自然環境に関心を持つ国民が一堂に会して、「いのちの感謝収穫祭」を催し、この催事を通じて古代から続く「新嘗祭」の精神を現代に生き生きと甦らせ、我が国の基をしっかりと固めていきたいと思います。
今や我が国の農山漁村は非常な危機に直面しております。「地方創生」が国の重大な課題になっている今日、我々の生活と精神文化の基礎となっている「いのちを大切にする日本の稲作文明」を改めて創造し直す機会にしたいと願っております。

以上が原文だが、戦後70年間で「新嘗祭」という言葉が分からなくなってしまった日本人にもう一度、日本人の原点とは何かを問いなおして欲しいと思っている。若い頃の私であれば、新嘗祭という言葉だけで思想的に何か右よりの印象を持ち排除する論理を持っていた。しかしそれは戦後教育のなかできちんと日本の古代史と近現代史を学んで来なかった結果であり、それを修正するのに30年以上もかかってしまった。天皇陛下が何故、稲作神事を行っているのか、何故、豊葦原瑞穂の国なのか、古事記日本書紀をしっかりと学んでこなかったからであり、受験勉強中心の学び方をしてきた結果である。更に戦後のGHQによる神道指令や天皇人間宣言の意味、東京裁判における「平和に対する罪」「人道に対する罪」の意味、これらの事柄は人生を60年以上やってきて初めて多少理解できるようになってきた。日本の歴史だけでなく世界の歴史も表面的なことだけしか学ばず、西欧文明の本質が分かっていなかった。

ハンチントンは世界の文明の一つとして「日本文明」を位置づけているが、そのことの意味を多少はわかるようになっている。戦後70年間で西欧文明の仕組みと価値観だけで日本社会は動かされてきたように思われる。そのことをGHQ占領軍による押し付け政策だと言うつもりは無い。しかし私たち戦後生まれの日本人は、何の疑問も抱かずに経済成長一本槍できたことも事実である。文明というと遺跡を思い浮かべるが、これも西欧文明の価値観だけで考えている証拠である。日本以外の小麦と灌漑による文明は石造りだが、縄文文明は狩猟採取と稲作の文明で木造であり、そこには遺跡として殆ど残っていない。しかし文明とは遺跡ではなく、その時代その地域の暮らしそのものであり、石造りの遺跡の有無では無い。米作りは弥生時代から始まったと教えられた年代ではあるが、稲作文明は長江中流域から始まり、そこにも石造りの遺跡はない。しかしそこの祭祀と日本の祭祀には多くの共通点がある。中国との会話もその共通点から始まれば、尖閣列島問題も先鋭化しないであろう。

食料生産としての稲作や麦作の発展が定住生み、その豊作を祈願する祭祀から神が生まれ、それがその時代の暮らしとなり、それが文明となる。その文明の証人として田んぼの生きものがいる。今回の新嘗祭は日本人が日本文明を考える入り口であり、多くの人に新穀を味わってもらって自分自身のDNAに問いかけてもらいたい。