都市農業基本法では都市農地の減少を止められない」

平成27年に成立した都市農業振興基本法に基づき都市農業振興基本計画が定められたが、この計画では都市農地の減少に歯止めをかけることはできない。何故ならば、この法律の目的は読んで字のごとく「都市農業の振興」であって、「都市農地の保全」ではないからである。この法律は議員立法により作られた法律であるが、内容としては農林水産省が定める産業政策であり、国土交通省が定める国土政策でもなければ、環境省が定める環境政策でも無い。
法律には「都市農業振興基本計画」は、都市農業振興基本法平成27年法律第14号)に基づき、都市農業の振興に関する施策についての基本的な方針、都市農業の振興に関し政府が総合的かつ計画的に講ずべき施策等について定める計画であると書かれている。更に、都市農業の振興に当たっては、「都市農業の多様な機能の発揮」を中心的な政策課題に据え、都市農業振興に関する新たな施策の方向性として、(1)都市農業の担い手の確保、(2)都市農業の用に供する土地の確保、(3)農業振興施策の本格展開、の3つを掲げている。
果たして非農家都市住民は都市農業の振興を望んでいるのだろうか。意欲のある都市農家は間違いなく都市農業の振興を望んでいるが、非農家都市住民が望んでいることは都市農地の減少を食い止めることではないだろうか。それは非農家都市住民の都市農地に対する見方が大きく変化してきたことに由来する。農地といえばすぐに食料生産基盤を思い浮かべるが、その機能は時代により大きく変わってきている。別表にもある通り、都市農地は戦後その機能を大きく変化させてきている。終戦直後は日本全体が食糧不足であり、都市農地といえども食料生産に対する期待は大きかったことが伺われる。しかし昭和36年の農業基本法制定の頃は日本全体が高度経済成長期に入り始め、農村から都市への人口流入が本格的に始まった。その結果、都市農地は食料生産への期待よりも宅地需要を満たす期待が大きくなったのだ。その後、高度経済成長により都市への人口流入が本格化し、宅地不足が深刻化したために昭和46年に都市計画法が制定された。将に市街化区域内の都市農地はそれまでの食料生産機能から宅地供給機能へとその価値を大きく転換したのだ。市街化を促進する区域に編入された農地はその所有者たる農家の意向とは関係なく次々に宅地化されていき、最後にはそこに住むことさえもできなくなった。あたかもアメリカの西部開拓時代に自分の土地に住めなくなったインディアンと同じである。更に固定資産税や相続税によって市街化区域内の都市農地での農業継続が困難となり、主要な農家はアパート経営等の資産管理事業をしながら都市農業を継続していた。
このような状況にも拘らずバブル景気により地価が高騰した際に、その原因は都市農家が農地を宅地化しないからだという仮説のもとに平成4年に改正生産緑地法が制定された。都市農家は宅地化か終生営農かの選択を迫られ、憲法で保障された「職業選択の自由」を結果として奪われたのだ。実は土地バブルの原因は都市農地ではなかったと言われており、それは別表の平成11年に宅地機能が大きく減少していることからも分かる。
土地バブルの時代の平成2年に市民農園法が制定され、農地は食料生産機能と宅地供給機能の他に「公共的機能」があることが認知された。この頃から農地全般に渡って多面的機能の議論が一般的になり、OECDでは農業環境指標が検討され、平成4年にリオデジャネイロでは地球環境サミットが行われ、同年EUでは農業に対する環境直接支払いが行われるようになった。しかし日本では農業の多面的機能論は語られるものの、その多面的機能の保全者が農家であることの認識が欠如している。その結果、環境直接支払い政策は農家へのバラマキ政策としてしか認知されず、世界の農業政策からは大きく遅れを取ることになってしまった。その結果、TPP締結に当たってガットウルグァイラウンド当時と同じ議論が繰り返されている。更に現在では耕作放棄地が40万haになっているにも拘らず、国民は国土に対する危機管理意識は全く無いのが実情だ。
これまでの農地の議論は目的を実現するための手法であった。人口増加に対処するための食料生産を目的とするため原生自然を加工し、そこに造成した農地が存在した。宅地供給を目的とするために農地を宅地転換し、そこに宅地造成した土地が存在した。しかし公共機能としての農地は手法ではなく、そこの農地から様々な公共的活動が創造されることを意味する。その公共的活動とは多様であり、これまでは市民農園や景観としての緑地機能等が議論されてきたが、現在では健康を増進させる農作業活動、福祉、介護、防犯、防災、観光、保育、子育て、教育、環境、文化、地域協働等、地域に住む市民の暮らしを豊かにするキーワードがそこには隠されている。そこで都市農地を議論する場合には従来の農業という産業政策として議論するのではなく、農地を拠点とした地域振興施策として検討することが求められている。つまり都市農家を対象とする農業振興施策や相続税金対策を議論するのではなく、都市農地周辺に住んでいる非農家都市住民が農地をどのように地域の暮らしのなかに位置づけるかの議論が優先されなければならない。市街化区域内の都市農地は既に農産物生産機能や宅地供給機能が求められているのではなく、地域の風土と文化と歴史を育む新たなコモンズ空間としての機能が求められている。
コモンズ空間の議論で一番大切なことは、その空間において農家も含む地域住民がどのような活動をするのかの合意形成が大事であり、その合意されたことに対して地域住民全体がどのように責任を持つのかを意味する。これまでは縦割り社会のなかで地域を意識しないで暮らしが成り立っていたが、これからはコモンズ空間の利用と活用のなかで否応なく横割り社会を意識した暮らしに転換せざるを得ない。既に私たちの地域では別表のように農地の活用を巡って様々な議論が展開されており、議論だけではなく様々な取り組みが展開されている。しかし非農家都市住民の動きとは別に都市農地を所有している農家の間では区画整理事業が進行している。非農家都市住民は農地に対する権利を有しないので、区画整理事業等の話は関係者だけで進められる。それらの動きに対する地域住民への情報開示は関係者では無いということで開示がされない。
ここでもう一度、都市農地は一体誰のものかを考えてみたい。これまでは憲法29条の私有財産制度の保障によって都市農地は農家の財産として保護されてきた。しかし食糧生産の確保という視点から農地法によってその売買は制限されてきた。実はその制限こそが「公共の福祉」という概念であり、憲法29条に明記されている。この公共の福祉とは「自由国家的公共の福祉」と「社会国家的公共の福祉」の2つがある。自由国家的公共の福祉というのは,災害等を防ぐために土地の利用方法を制限することで、国民の生命や身体,財産が危険にさらされることを防ぐために,財産権が制限される。 社会国家的公共の福祉というのは、環境保護のために土地や建物の使用を制限することで、条例によって玄関前に花を植えなければならないといった制約が課されることがある。このような制約は誰かに危害を加えることを防ぐための制約とは違って,住民がより住みやすい環境を享受するための制約といえる。自由国家的公共の福祉による制約は国民にマイナスが生じることを防ぐためで,社会国家的公共の福祉による制約は国民にプラスの効果をもたらすための制約なのだ。この考え方を都市農地に当てはめてみると、これ以上の宅地化を進めることは地域の防災や子育て、保育、教育、健康にとってマイナスが生ずる可能性があるので自由国家的公共の福祉に反することとなる。更に地域の農地保全は環境、福祉、介護、防犯、観光、文化等にプラスの効果をもたらすので社会国家的公共の福祉による制約となる。ともにどちらの公共の福祉の面から見ても都市農地を保全するための制約は憲法29条の農家の財産権の侵害には該当しないと思われる。
このような考え方を地域住民全体で理解することがコモンズ空間としての農地を意識する始めの一歩なのではないだろうか。歴史ではコモンズという概念はイギリスの囲い込みで学ぶが、羊がイギリスのコモンズ空間を侵食し、ノーフォーク革命による農業の大規模化が更にコモンズ空間を侵食したと書いてある。今回のコモンズ空間の議論は公共用地としての空間を地域住民が創造する「地域住民によるコモンズ空間の逆囲い込み」ではないかと思っている。