トランプと民主主義

今週末にアメリカの大統領就任式が行われる。世界の人たちが予想をしなかった人物が大統領になろうとしており、更に大統領に就任する前から様々な発言で世界に物議をかもしている。その発言の内容はさておき、トランプはツイッターという手法を駆使して相手を屈服させようとしている。私はツイッターをやっていないが、私の理解ではツイッターとは「モノローグ」であり、相手を非難する道具としては考えていなかった。自分の考え方を「つぶやき」それに同調する人が反応をするものと思っていた。もちろん一部では、そのモノローグを非難する人が多数おり、「炎上」したという話も聞いている。
私がここで疑問に思うことは「ツイッターは民主主義のルールとして認知されていない」ということである。日本人は西洋文明が作り出した「民主主義」というルールを普遍的なものだと思っているが、けっしてそうではない。そのルールの背景にはキリスト教とギリシァ哲学があり、イギリスとフランスとアメリカの市民革命によって今日の民主主義の骨格が出来上がったのだ。その民主主義のルールの基本である「議論」は日本人が思っている「話し合い」ではない。議論の前提として「ルール」が存在する。ルールが存在しない議論は不毛の議論であり、それは民主主義ではない。ツイッターはその民主主義のルールに照らしてみるとおかしいのではないかと思っている。それはツイートが議論ではなく、一方通行の主張であるからだ。更にツイートは私人の会話手法であり、「公人」の会話手法としては認知されていないからだ。
トランプのツィートは自分の考え方を一方的に公にしているだけで、大統領陣営の内部での議論はなされておらず、それは私人としてのトランプの「戯言」なのである。しかしその戯言も大統領に就任する予定の人間がツィートしている「戯言」なので世間の人たちを惑わしているのである。
言論の自由は守らなければならないが、自由とはその前提に規律規制があることを忘れてはならない。トランプはあまり民主主義の基本を理解していないようなので、大統領に就任する前まではあまり本気で相手にしないほうが良いと思う。金曜日の就任以降も同様のツィートをするようであれば、その行為は民主主義のルール違反として全世界が糾弾しなければならない。