食料自給率とJアラート

Jアラート(全国瞬時警報システム)に対する国民的議論が巻き起こっている。Jアラートは国民を不安に陥れるだけで、政府は本当に国民の生命を守ろうとしているのかという議論である。これまでも様々な危機があったかもしれないが、自分たちの頭上を北朝鮮のミサイルが飛ぶという現実の危機に私達はどのように対処してよいのか分からない。これまでのパターンのように政府に対して文句を言っているだけでは何も解決しないことも分かっている。
このような時に衆議院が突然解散することになった。大義名分が無いことだけでなく、日本の財政に対してアラートがなっているにも拘らず、消費税の使いみちの変更を選挙の争点にしようとしている。教育の無償化という目の前のアメに国民はどのように反応するのか試されているわけであるが、無償化によって財政危機は回避される可能性は殆どなくアラートは鳴り続けている。更にアメリカとヨーロッパは財政政策を大きく転換し始めたにも拘らず、日銀は未だに金融緩和を続けている。
一方、日本の食糧自給率は2年続けて40%を切っている。この数字は将に日本国民に対するJアラートなのではないかと思っている。しかし国民は食糧自給率の低下に対して危機感を抱いていない。それはミサイルが自分の身に迫った危機であるのに対して、食糧自給率はどのような危機を想定するのか国民的共通認識が欠如しているからではないだろうか。

このような状況は日本人の「種の進化」が停滞していることを意味するのではないだろうか。種はその危機を乗り越えるたびに進化しており、状況変化に対応できなくなった種は絶滅する。これが「適者生存」の法則である。
「今、起きている事と自分との関係性を想定できない」これが21世紀に生きている人間の実情である。これは何も日本人に限ったことでは無い。アメリカで起きているトランプ現象もラストベルトの白人労働者が「何故、自分たちは失業をしたのか」の理由が分からず、工場の海外移転にその原因を見出し、「アメリカファースト」という分かりやすい約束をした人間が大統領になった。自分の失業という危機の原因が想定できない現象である。将にチャップリンのモダンタイムスのように人間は社会の歯車の一つとなり、その歯車の正体が何かは誰も分からない。
今年はルターの宗教改革から500年の記念の年である。プロテスタントの多いアメリカの白人労働者はマックスウェーバー流に解釈すると次の様になる。自分たちの労働は「ベルーフ(天職)」であり、労働することによって最後の審判で天国に行ける。この考え方はその後のカルヴァンによって予定説で補強され、その禁欲的労働が資本主義を産んだとされている。日本人にはとても理解できない考え方である。そのカルヴァン宗教改革を行った国、スイスが食糧安全保障を憲法に明記する国民投票を行った。スイスの食料安全保障については以前にも書いたので参照して欲しい。