余命宣告

数ヶ月前に医者から余命宣告を受けた。70才での死亡確率が40%で75才での死亡確率が70%の病気だそうだ。2年前にも同様の話しをしたと医者は言うが、私はあまり覚えていない。CTスキャンの画像を2年前と今回を比較してみると症状が進行していることは素人の私でも分かる。病名は「間質性肺炎」といい、原因が不明の「難病」なので治療薬が無いそうだ。治療薬はあっても副作用が激しいとのことなので、現在は酸素療法をしている。桂歌丸と同じチューブを鼻に入れ、酸素ボンベを持ち歩いているので他人からは本格的病人に見える。酸素ボンベなので常時チューブをしていないと酸素不足で死んでしまうと思われがちだが、静かにしている時はチューブをしていなくても死ぬことはない。
ここまで書くと私が失意のどん底にあると思われる方もいるかも知れないが、私はいたって元気である。昨年の11月から息苦しく咳き込んでいたが、病名がはっきりしたのでスッキリした。実を言うと私の余命宣告は2回目である。1回目は47才の時で、病名は「うっ血性心不全」であり、その時に10年後の死亡確率はほぼ100%と言われた。当時はタバコを1日100本吸っており、暴飲暴食の限りを尽くしていた。その時は息をするのが苦しくなったので止む無く入院し、カテーテルの手術を受けた。それ以降、きっぱりと禁煙をした。それは死ぬのが怖くて禁煙したわけではなく、息が苦しくなる原因がタバコなら苦しいのは嫌だから辞めただけである。その後、余命宣告された57才を過ぎても死なず、現在まで更に10年以上過ぎている。10年のお釣り人生を送ってきたわけである。前回の余命宣告は原因が分かっていたが、今回は原因が分からないので対処のしようがない。本人にはあまり対処する意志がもともと無い。何故なら、これまで周辺には70才で死ぬと宣言してきたからである。私の宣言は57才で死ぬ予定が延長になったので、お釣りがある間に人生のけじめをつけようと思い、その目途を70才に設定しただけである。今回の余命宣告で、私の設定時期に間違いが無かったことが証明されたのである。
私はあまり自分の死を恐れてはいない。これは本当の話しである。死んだら最後の審判によって天国に行くのか地獄に行くのか、それとも煉獄に行くのか、分からない。システィナ礼拝堂に描かれているミケランジェロ最後の審判やダンテの神曲の挿絵から想像される世界にはあまり興味がない。カルヴァンの予定説に恐れは抱かないが、予定説とプロテスタントの天職(ベルーフ)が資本主義の流れを作ったというマックスウェーバーには興味がある。現在の世界の価値観を規定している西洋文明の根底にはヘレニズムとキリスト教カソリック教会があり、天地を創造した神との関係性を理解しない限り民主主義は理解できないと思っている。一方、日本人のレーゾンデートルは稲作信仰であるにも拘らず、現代の日本人はお米と田んぼと生命の関係性を理解できなくなり、11月23日が何の日か分からなってしまった。天皇陛下の譲位に関しても大嘗祭についての報道が殆どされないし、天皇家が稲作信仰の元締めであるということも知らない。私が今年、地元の落川交流センターの中に「ひょうたん田んぼ」を造成したのも、周囲の人たちに日本人のレーゾンデートルを意識してもらおうと思ってやったことだ。だから今年の11月23日には「ひょうたん田んぼ」で新嘗祭を行う企画を立てている。多分、今回の企画をしないで余命がつきてしまったら、死ぬ時に多少後悔するかもしれない。