大嘗祭と憲法

平成19年5月1日に現在の皇太子が新天皇として即位され、皇位継承を内外に示す「即位の礼」が同年10月22日に国事行為として行われることが発表された。それと同時に大嘗祭が11月14日15日に皇室行事として行われることも発表された。
このニュースを聞いて殆どの国民は即位の礼大嘗祭の違いが分からず、国事行為と皇室行事に分ける意味も分からないと思う。何故ならば、大嘗祭天皇が新たに即位した年の新嘗祭のことであり、現在の天皇が即位した30年前に行われた際にあまり国民的議論になっていなかったからだ。そもそも現在の日本人で「新嘗祭」という言葉を聞いてきちんと答えられる人は2割か3割で、11月23日は勤労感謝の日として認知しているだけなのだ。それは私が数年前まで明治神宮新嘗祭を開催していたので、周辺の人たちの反応を知っていたからである。
かく言う私も30年前の即位の礼の時には西ドイツに駐在しており、大嘗祭の時には帰国直後であり、新嘗祭との関係性などは殆ど知らなかった。その後、ヨーロッパで感じた西洋文明とアジア文明の違いは何処にあるのか調べ始めた。その結果、違いの原因が「神」であることに気づき、その背景として稲作起源や稲作信仰に興味を持つようになった。
即位の礼憲法1条に書かれている天皇の国事行為であることは殆どの国民が理解できると思うが、大嘗祭とは何かが分からない。新嘗祭は稲作神事として天皇が国民を代表して収穫に感謝し、豊作を祈願する行為である。そして「天皇が即位した年の新嘗祭」を大嘗祭と呼び、稲作神事の継承者としての儀式なのである。今回も大嘗祭を国事行為ではなく皇室行事としたのもそのような理由による。この仕組の起源を調べてみると、天武持統天皇の頃から整備されたようである。この時代は大化の改新で知られているように、天皇家の権威が確立されつつある時代であり、律令国家として政治体制が確立された時期に当たる。政治体制としては律令制度(太政官制)が中国から導入され、天皇陛下即位の礼は唐の様式を真似て行われるようになった。その時に政治体制の確立と合わせて行われたのが朝廷の祭祀を司る神祇官制であった。古事記日本書紀に書かれている律令国家として国民の安全を祈願する儀式として神祇官により新嘗祭等の神事が行われるようになった。その神事を取り仕切る神官の元締めとして天皇が存在し、その神官交代の儀式として大嘗祭が行われるようになった。伊勢神宮天皇家の宮として位置づけられたのもこの頃である。
その後、明治維新の時に国家神道が他の宗教の上に位置づけられ、近代国家の思想的支柱として国家神道が位置づけられた。ポツダム宣言受諾後の占領政策により昭和20年に国家神道を廃止する神道指令が出され、翌年には天皇は現人神ではなく人間である宣言が出された。昭和22年に施行された憲法においても天皇は象徴であり、その神性は否定された。昭和23年に施行された祝日法案で11月23日は勤労感謝の日となり、新嘗祭という言葉は国民の前から姿を消してしまった。その結果、戦後教育のなかで現代史を学んでいない私達としては新嘗祭はもとより大嘗祭という神事と憲法との関係性が理解出来ていない。大嘗祭は皇室行事というプライベートなことなので憲法違反では無いというのか公式見解であるが、そのような理解のままでいいのだろうか。私はここで憲法論争や天皇論争をしようというのでは無い。しかし戦後70年の間、国民としてネグレクトしてきた課題は自衛隊とともに象徴天皇であることは間違いない。憲法改正を議論するのであれば、正面から取り組む糸口がこの辺にあるのではないかと感じている。様々な角度から納得の行くまで掘り下げてみたい。

憲法改正の考え方

 憲法改正論議が本格的に始まっているが、おかしなことがある。憲法改正の議論は知性と理性に基いてするものであるが、感情に基づいた問題提議がされている。1つは「現在の憲法は占領軍によってつくられたものであるから改正をしなければならない」という問題提議であり、現在の憲法の内容についての問題提議ではない。憲法を作った人間が誰であれ、内容が日本にとってふさわしいものであれば憲法として機能するのではないだろうか。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の論理である。もう1つは「安倍政権の時に憲法改正をするのは反対である」という世論調査の結果である。憲法改正というものは時の総理大臣が誰であろうと改正の必要があればするものではないのか。これも坊主憎けりゃの類の論理である。
 ここでもう一度、何故、今、憲法改正をしなければならないのかを感情を抜きにして知性と理性に基いて考えてみたい。
 私は団塊の世代であるが、自分の生まれた時代が占領軍によって統治されており、国家としての主権が回復されていなかったという認識が無い。学校の授業でも戦争責任や天皇陛下についての記憶が殆ど無い。まだ小学生だった1960年の安保条約については国会前のデモ行進と樺美智子さんが亡くなったことしか知らない。更に10年後の安保条約の時も「安保反対」と叫ぶだけで、何故反対なのかの本当の意味を理解していなかった。何故ならば私は1951年のサンフランシスコ講和条約と旧日米安保条約締結の関係性を知らなかったからだ。
日本には平和憲法があるから日米安全保障条約は不要であるというわけの分からぬ論理を信じていたのだ。更に安保や天皇制を支持すると周囲からは「右翼」と見られると感じ、全体の流れに迎合していたのだ。
 その後、社会人となって毎日忙しい日々を送っていたが、ある先輩との出会いを境に自分の疑問に対する答えを見つけるための勉強を本格的始めた。その時は既に30才を過ぎていたが、学生時代の勉強とは全く異なり、自分の疑問を納得させることが目的であった。今回の憲法改正問題もそのような視点で考えてみたい。
現在の憲法は1946年11月に公布され、1947年5月に施行された。私は中学の時に「憲法前文」を暗証させられたので、今でも「そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって〜〜」とスラスラと言える。しかし、その歴史的背景は知らなかった。歴史的背景とはその当時に生きていた人々がどのように思っていたかを検証することだ。
 終戦直後は日本だけでなく世界の殆どの国が二度と戦争を起こさないという決意を固めていたはずである。更に1945年10月には国連が創設され、世界の平和は国連軍が守るという認識をしていたのではないか。その証左として1942年の大西洋憲章に書かれている内容が日本国憲法前文に色濃く反映されているのだ。その憲章がチャーチルルーズベルトによって作られたからといって頭から否定することは如何なもの。明治憲法だってプロシャの憲法を参考にしてつくられたではないか。
 こうした時代背景を考えると1945年のポツダム宣言に基づき日本軍は解体された。更に、占領軍によって1945年12月に神道指令、1946年1月に天皇人間宣言が出され、5月からは天皇の戦争責任を追求しない極東軍事裁判が行われるなかで憲法は作られたのだ。当時の国民の殆どは象徴天皇戦争放棄を明文化した新憲法に対して疑問を挟む余地は無かったのではないか。
しかし1948年に反共の防波堤として日本やドイツが冷戦体制に組み込まれた。ヨーロッパでは1949年4月にNATOが設立され、1949年5月にドイツ連邦共和国臨時政府とドイツ連邦共和国基本法(憲法ではない)が制定され、反共国防のための軍隊がつくられた。1955年5月には西ドイツが主権を回復し、NATOに加盟し、1956年には徴兵制が復活している。
 日本でも1950年6月に朝鮮戦争が勃発したために、アメリカ軍は連合軍として日本から朝鮮半島に移動した。(現在も一部は横田基地にある)その結果、手薄になった日本の治安を守るために1950年8月に警察予備隊が発足した。このような国際情勢のなかで日本を独立国家として自立させるために1951年9月にサンフランシスコ講和条約が締結された。
 この時には既に憲法制定時のような国際情勢には無く、国連軍が世界の平和を守るということも幻想となってしまった。このような日本を取り巻く国際情勢の変化を考えれば、憲法9条の改正は1951年に実施されなければならなかった。しかし残念ながら朝鮮戦争真っ最中に憲法改正の議論がなされなかったのは致し方がないことかもしれない。更に1951年にサンフランシスコ講和条約調印の当日に旧日米安保条約が締結され、占領軍に代わってアメリカ軍が日本に駐留することになった。このように憲法の前提となっていた国連軍による日本の平和を守る構図は崩れ、それにも拘らず9条を改正しなかったのだ。1952年10月に警察予備隊は保安隊に改組され、1953年の朝鮮戦争停戦後の1954年7月に自衛隊が発足した。
 その後、1956年に国連に加盟し、1960年には新日米安保条約を締結した結果、日米の相互協力や施設及び区域並びに米軍の地位に関する日米地位協定が結ばれた。沖縄の辺野古基地問題やヘリコプターの事故問題、米軍人の裁判権横田基地の空域問題等の協定の運用については日米合同委員会で行われ、そこでは米軍に対する忖度が行われている。この問題は現在の憲法改正と一緒に議論しなければならないが、国会の論戦でも行われていない。
 現在の論点は9条2項と3項の加憲に収斂しているが、もう一度、憲法を巡る国際情勢の変化と日本人の考え方の変化を学ばなければならない。自衛隊憲法に明記するだけでは日本人として生命と健康と財産を守れない。更に憲法改正だけではなく、日米安全保障条約日米地位協定の内容にまで踏み込んで議論しなければならない。戦後70年間、水と安全がタダで手に入ると思い込んで議論をサボってきた日本人として真剣に対峙しなければならない問題である。

余命宣告

数ヶ月前に医者から余命宣告を受けた。70才での死亡確率が40%で75才での死亡確率が70%の病気だそうだ。2年前にも同様の話しをしたと医者は言うが、私はあまり覚えていない。CTスキャンの画像を2年前と今回を比較してみると症状が進行していることは素人の私でも分かる。病名は「間質性肺炎」といい、原因が不明の「難病」なので治療薬が無いそうだ。治療薬はあっても副作用が激しいとのことなので、現在は酸素療法をしている。桂歌丸と同じチューブを鼻に入れ、酸素ボンベを持ち歩いているので他人からは本格的病人に見える。酸素ボンベなので常時チューブをしていないと酸素不足で死んでしまうと思われがちだが、静かにしている時はチューブをしていなくても死ぬことはない。
ここまで書くと私が失意のどん底にあると思われる方もいるかも知れないが、私はいたって元気である。昨年の11月から息苦しく咳き込んでいたが、病名がはっきりしたのでスッキリした。実を言うと私の余命宣告は2回目である。1回目は47才の時で、病名は「うっ血性心不全」であり、その時に10年後の死亡確率はほぼ100%と言われた。当時はタバコを1日100本吸っており、暴飲暴食の限りを尽くしていた。その時は息をするのが苦しくなったので止む無く入院し、カテーテルの手術を受けた。それ以降、きっぱりと禁煙をした。それは死ぬのが怖くて禁煙したわけではなく、息が苦しくなる原因がタバコなら苦しいのは嫌だから辞めただけである。その後、余命宣告された57才を過ぎても死なず、現在まで更に10年以上過ぎている。10年のお釣り人生を送ってきたわけである。前回の余命宣告は原因が分かっていたが、今回は原因が分からないので対処のしようがない。本人にはあまり対処する意志がもともと無い。何故なら、これまで周辺には70才で死ぬと宣言してきたからである。私の宣言は57才で死ぬ予定が延長になったので、お釣りがある間に人生のけじめをつけようと思い、その目途を70才に設定しただけである。今回の余命宣告で、私の設定時期に間違いが無かったことが証明されたのである。
私はあまり自分の死を恐れてはいない。これは本当の話しである。死んだら最後の審判によって天国に行くのか地獄に行くのか、それとも煉獄に行くのか、分からない。システィナ礼拝堂に描かれているミケランジェロ最後の審判やダンテの神曲の挿絵から想像される世界にはあまり興味がない。カルヴァンの予定説に恐れは抱かないが、予定説とプロテスタントの天職(ベルーフ)が資本主義の流れを作ったというマックスウェーバーには興味がある。現在の世界の価値観を規定している西洋文明の根底にはヘレニズムとキリスト教カソリック教会があり、天地を創造した神との関係性を理解しない限り民主主義は理解できないと思っている。一方、日本人のレーゾンデートルは稲作信仰であるにも拘らず、現代の日本人はお米と田んぼと生命の関係性を理解できなくなり、11月23日が何の日か分からなってしまった。天皇陛下の譲位に関しても大嘗祭についての報道が殆どされないし、天皇家が稲作信仰の元締めであるということも知らない。私が今年、地元の落川交流センターの中に「ひょうたん田んぼ」を造成したのも、周囲の人たちに日本人のレーゾンデートルを意識してもらおうと思ってやったことだ。だから今年の11月23日には「ひょうたん田んぼ」で新嘗祭を行う企画を立てている。多分、今回の企画をしないで余命がつきてしまったら、死ぬ時に多少後悔するかもしれない。

食料自給率とJアラート

Jアラート(全国瞬時警報システム)に対する国民的議論が巻き起こっている。Jアラートは国民を不安に陥れるだけで、政府は本当に国民の生命を守ろうとしているのかという議論である。これまでも様々な危機があったかもしれないが、自分たちの頭上を北朝鮮のミサイルが飛ぶという現実の危機に私達はどのように対処してよいのか分からない。これまでのパターンのように政府に対して文句を言っているだけでは何も解決しないことも分かっている。
このような時に衆議院が突然解散することになった。大義名分が無いことだけでなく、日本の財政に対してアラートがなっているにも拘らず、消費税の使いみちの変更を選挙の争点にしようとしている。教育の無償化という目の前のアメに国民はどのように反応するのか試されているわけであるが、無償化によって財政危機は回避される可能性は殆どなくアラートは鳴り続けている。更にアメリカとヨーロッパは財政政策を大きく転換し始めたにも拘らず、日銀は未だに金融緩和を続けている。
一方、日本の食糧自給率は2年続けて40%を切っている。この数字は将に日本国民に対するJアラートなのではないかと思っている。しかし国民は食糧自給率の低下に対して危機感を抱いていない。それはミサイルが自分の身に迫った危機であるのに対して、食糧自給率はどのような危機を想定するのか国民的共通認識が欠如しているからではないだろうか。

このような状況は日本人の「種の進化」が停滞していることを意味するのではないだろうか。種はその危機を乗り越えるたびに進化しており、状況変化に対応できなくなった種は絶滅する。これが「適者生存」の法則である。
「今、起きている事と自分との関係性を想定できない」これが21世紀に生きている人間の実情である。これは何も日本人に限ったことでは無い。アメリカで起きているトランプ現象もラストベルトの白人労働者が「何故、自分たちは失業をしたのか」の理由が分からず、工場の海外移転にその原因を見出し、「アメリカファースト」という分かりやすい約束をした人間が大統領になった。自分の失業という危機の原因が想定できない現象である。将にチャップリンのモダンタイムスのように人間は社会の歯車の一つとなり、その歯車の正体が何かは誰も分からない。
今年はルターの宗教改革から500年の記念の年である。プロテスタントの多いアメリカの白人労働者はマックスウェーバー流に解釈すると次の様になる。自分たちの労働は「ベルーフ(天職)」であり、労働することによって最後の審判で天国に行ける。この考え方はその後のカルヴァンによって予定説で補強され、その禁欲的労働が資本主義を産んだとされている。日本人にはとても理解できない考え方である。そのカルヴァン宗教改革を行った国、スイスが食糧安全保障を憲法に明記する国民投票を行った。スイスの食料安全保障については以前にも書いたので参照して欲しい。

2025年問題とゾンビ

先日、テレビで放送大学を見ていたら地域介護のテーマで地域住民と行政が一体となった取組事例を紹介していた。私が以前から提案している住民同士の見守り介護を組織的に展開していたので、ここに整理して提案したい。
私の地域ではチームみ組という名で「声掛け運動」を展開している。しかしイベントへの参加を呼びかけに終始しており何を目的にして呼びかけをするかという議論が欠けている。

放送の概略
行政と自治会が一緒になって高齢者宅を訪問し、介護の問題点を見つけたり、相談に乗ったりしている。実際に訪問をするなかで家庭内の異常を発見し、大事に至らないようにする仕組みである。訪問を拒否する家庭もあるが、粘り強く地域住民(信頼のある自治会役員等)と一緒に訪問を続け、異常が想定される場合は家庭内に無理矢理にでも立ち入り、要介護支援の態勢をとる。
訪問は包括支援センターや地域社会福祉協議会の職員と自治会役員がセットになっていた。当然、訪問の前には地域全体に高齢者を対象とした訪問を実施するチラシ等を配布している。
これらの取組のなかで一番大切なことは情報の共有化であり、専門職であれ一般職であれ、地域の様々な情報を共有して分析して行動することである。日野市でも地域包括支援センターがあり地域社会福祉協議会、医療施設、ケアセンター、自治会、老人会、市民団体等があるが、残念ながら情報が共有化されているわけでは無い。個人情報なので出せないと主張している行政もあるが、それは個人情報が誰でも手に入れられ、それを悪用される状況を想定した法律であり、特定の人間だけが情報を共有化し、その守秘義務を負う場合には適用されるものではない。その場合の個人情報は地域の公共と福祉を目的に使われるのであり、行政は勘違いをしてはならない。
2025年問題(団塊世代後期高齢者入り)はもうすぐそこまで来ており、関東大震災や富士山噴火が起きる確率とは比較にならない。7年後に確実に来る問題であり、今からきちんと対策を立てないと、私達団塊の世代が皆ゾンビになって、周辺を徘徊する様子を創造してください。本来的には北欧諸国のように増税をして国が社会保障態勢を充実して対応するものであるが、現在の政権は対策を後回しにして問題を先送りしている。しかし2025年問題は間違いなく来るし、来た時に国の悪口を言っていてもゾンビに食い殺されてしまう。そこで政治問題を当てにせず、自ら声掛け運動を本格的に展開して地域介護の態勢を自分たちで構築しなければならない。

子ども農園

 現在、私の地元の日野市で新規の田んぼを造成中である。こども農園は(仮称)であり、そこでは子どもたちを中心にして様々な活動を展開するのでそのような呼称にしたが、正式にはまだ決まっていない。現在、国交省で特定生産緑地指定制度の創設や田園住居地域の創設が検討されているので「まちづくり農園」としても良いかもしれない。新規の田んぼ造成と聞いて驚く方が多いと思う。何故ならば日野市は市街化区域であり、水田は生産緑地といえども減少するものであって、新規に造成するものでは無いからである。
 私はこれまでに日本の水田を守るために様々な取り組みをしてきた。米の産直事業を様々な取引先と展開し、米のトレーサビリティの仕組みを創って全国に展開してきた。更に田んぼの生きもの調査を全国展開し、生物多様性の取り組みに基づく水田づくりを行ってきた。その結果、コウノトリやトキの放鳥が可能となり、ラムサール会議では「水田決議」がなされるようになった。
しかし水田を含めた地域環境を保全するための環境直接支払いは日本では定着せず、水田の減少は続いている。国土交通省が管理する生産緑地においても、相続税支払いのために水田は宅地に転用され続けている。このような状況のなかで、TPP交渉を放棄したトランプが保護貿易政策や2国間交渉に移行した場合に、日本の関税による農業保護政策は確実に破綻することが予想される。RCEPに移行したとしても3期作を中心としたベトナムジャポニカ米栽培により、日本の稲作は苦境に立たされることは間違いない。
 このような話をしても現在の日本人は殆ど危機感を持たない。何故ならば、日本の稲作農家が潰れても海外から安くて美味しい有機米を輸入すれば良いと考えているからだ。お米という商品に対しては美味しさや安全性、価格を問題にするが、そのお米を作る水田と農家に関しては思いが至らない。つまり日本の稲作農家や水田が無くなっても自分の生活とは関係がないと思っている。
私はこれまでこの危機的状況を説明しながら様々な取り組みを展開してきた。田んぼの生きもの調査を通じて消費者に田んぼを意識してもらい、農家には生きもの調査を通じて国民にメッセージを送るように話してきた。しかし日本の消費者は環境直接支払いの意味を理解出来ないので、国土としての水田を守る意識は芽生えていない。農家もコウノトリやトキが差別化商品として成功したことだけに満足をして、後継者の不足による地域の将来性に危機感を抱かない。もはや私たちの「豊葦原瑞穂国」は最終段階を迎えているような気がしてならない。
 私はこのような絶望感に苛まされながら自分でできることを探し続けてきた。それが平成4年以降、続けてきた地域活動である。当初の地域活動は「交流」を切り口とした活動であり、都市農業研究会を通じて周辺農地や用水の保全活動をしてきた。更にホタルの里を作って子どもたちに生きもの調査を教えてきた。防災活動の一環として「炊き出し食事会」を定例化し、生きもの調査をしている農家との連携を図るために「市民協働マルシェ」で玄米の量り売り販売もしている。そこでは生産者と消費者という関係ではなく、それぞれの地域の田んぼを守ることを目的とするために産地・銘柄・年産は明記せず、生きもの調査をしている農家が作ったお米という情報しか開示していない。量り売りの単位もkgではなく1升枡で量り、1合1升1斗1石という単位を教えている。1升枡で計った玄米と1反の田んぼとの関係性が見えてくれば、田んぼを守ることが自分の生命を守ることにつながっていることが分かる。周辺の田んぼでは子どもたちの稲作体験に生きもの調査を加えて活動をしている。しかし未だに農家の考え方は基本的に変わらず、市役所も農業委員会も発想の転換にまで至っていない。
そのような状況のなかで今回の子ども農園を始めるわけだが、造成場所の地目は農地では無い。私たちが15年前から地域活動をしている拠点のなかであり、数年後には都市計画公園になる予定である。市役所も私たちのこれまでの地域活動の成果を認め、田んぼの造成工事を認めた。認めたといっても造成工事に係る費用や農業倉庫の設置費用は私たちの資金で賄っている。今後の運営はこれまでの運営委員会を中心として子ども農園活動に参加する団体を構成メンバーとして実施する予定でいる。
 私としては今回の子ども農園によって周辺市民や周辺農家が意識改革することを目的としている。子ども農園には周辺の農家にも参加してもらい、周辺の神社からも神様に参加してもらいたいと思っている。今年の計画には抜穂祭や新嘗祭等の神事の真似事をして、神社が抱えている新規氏子の獲得に貢献する予定でいる。もしかしたら11月に子ども農園の周辺には様々な神様が集まり、周辺農家も集まって私たちの地域は「神在月」になるかもしれない。昨年まで行っていた明治神宮新嘗祭のように全国の生きもの調査をしている農家が集まり、その活動が全国の田んぼに広がっていくことを期待している。新嘗祭では私たちが行っている炊き出し食事会を行い、神様に感謝する気持ちを地域住民が持ってほしいと思っている。このような活動を展開してゆけば、田んぼがそこに存在することの意味を地域住民が実感し、周辺の田んぼや畑で起きている農家の悩みに共振し、自分たちができることを真剣に考えるようになる。そうすれば市役所も農業委員会も従来の発想から転換し、地域の住民とともにそこに存在する田んぼや畑の持続可能性を考えるようになる。
 更に数年後には子ども農園を挟む浅川の反対側には広域ごみ処理工場が建設される予定であり、環境汚染を心配して反対する住民活動が一部で行われている。私は新規に造成した田んぼで年3回の生きもの調査をする予定でいる。そうすればごみ処理工場が稼働した結果、周辺環境に変化が生じた場合に田んぼの生きものにも変化が生ずるはずである。数値ではなく五感で感ずる環境変化が田んぼの生きもの調査で分かり、変化がひどい場合は即座に稼働中止の市民活動をする予定でいる。何しろ初めての取り組みなのでどこまでできるか分からないが、取り組みの趣旨に賛同してくれている市民は沢山いる。周辺の農家についてはまだまだコンタクトが不足しているが、全国の生きもの調査をしている農家の仲間は賛同してくれている。この取組は私の人生において最後の取り組みになると思うが、ここから日本のレコンキスタ(国土回復運動)田んぼの保全回復運動が全国に広がっていくことを期待している。

トランプと民主主義

今週末にアメリカの大統領就任式が行われる。世界の人たちが予想をしなかった人物が大統領になろうとしており、更に大統領に就任する前から様々な発言で世界に物議をかもしている。その発言の内容はさておき、トランプはツイッターという手法を駆使して相手を屈服させようとしている。私はツイッターをやっていないが、私の理解ではツイッターとは「モノローグ」であり、相手を非難する道具としては考えていなかった。自分の考え方を「つぶやき」それに同調する人が反応をするものと思っていた。もちろん一部では、そのモノローグを非難する人が多数おり、「炎上」したという話も聞いている。
私がここで疑問に思うことは「ツイッターは民主主義のルールとして認知されていない」ということである。日本人は西洋文明が作り出した「民主主義」というルールを普遍的なものだと思っているが、けっしてそうではない。そのルールの背景にはキリスト教とギリシァ哲学があり、イギリスとフランスとアメリカの市民革命によって今日の民主主義の骨格が出来上がったのだ。その民主主義のルールの基本である「議論」は日本人が思っている「話し合い」ではない。議論の前提として「ルール」が存在する。ルールが存在しない議論は不毛の議論であり、それは民主主義ではない。ツイッターはその民主主義のルールに照らしてみるとおかしいのではないかと思っている。それはツイートが議論ではなく、一方通行の主張であるからだ。更にツイートは私人の会話手法であり、「公人」の会話手法としては認知されていないからだ。
トランプのツィートは自分の考え方を一方的に公にしているだけで、大統領陣営の内部での議論はなされておらず、それは私人としてのトランプの「戯言」なのである。しかしその戯言も大統領に就任する予定の人間がツィートしている「戯言」なので世間の人たちを惑わしているのである。
言論の自由は守らなければならないが、自由とはその前提に規律規制があることを忘れてはならない。トランプはあまり民主主義の基本を理解していないようなので、大統領に就任する前まではあまり本気で相手にしないほうが良いと思う。金曜日の就任以降も同様のツィートをするようであれば、その行為は民主主義のルール違反として全世界が糾弾しなければならない。